第10話「老翁たちの書評」
十話を無事休まずに超えられました。これからも頑張ります。
その一部始終を目の当たりにしたリーは、顎髭に手で弄るように動かした後、ゆっくりとエンヌに問うた。
「ありゃなんじゃ……綺麗な正拳突きが通ったのは事実じゃが……幾らなんでも放った者の体格であれ程相手を退ける膂力があるとは到底思えんがの」
リーを始め、その場にいる教員が目の当たりにしたのは年端もいかない少女が一見して浅い一撃を意図的に受け、結果無茶な距離を吹き飛んだかと思えばあっという間に敗北宣言をしたではないか。
それに対しエンヌは比較的冷静にリーの疑問に意匠をこらして意見を主張した。
「おそらく術式による強化では? 術式を禁ずるという条文はありませんでしたから。その敢えて用意されたルール上の穴を巧みに使った勝利でしょう。術式と体術、並びに実践における知力を同時に計測するテストを即興で考案されるとは……流石リー先生、ご慧眼ですね」
「ぬぬぬ……」
「生徒達が困惑しているようです、試合の終了を告げなくても?」
「ふん、そうじゃのう……」
普段のやり口に持ち込もうとするよりも前に、彼女は先制打でリーの耳障りな音をこれ以上出ないように止めさせた。
不発に終わったイビリという名をした残弾を喉奥にしまいこんだリーは、試合終了を告げる声を発し始めた。その脇で、エンヌは一切声を出さず、長考に入った。
(流石によく修行した術師でしか、あの異変には気付ききれない)
リーほどの武術家になると、多少の術式であれば見抜くことくらいはできるが、今回のような微量な調節による魔力の胎動を気付くことはできない。
(使うことに関しては何も不思議ではない、先天的に調節などといった手先の器用な存在はそれなりにいる。だけど何故それを反撃や防御に転じさせるわけではなく、自身の後退、それも攻め入る機会を与える真似をしたの?)
フェイントの線も考えられたが、じっと地に伏したままだった彼女が最後まで起きることを行わなかったから、なお不安である。
(彼女……カノン・シノザキなる少女は何かを隠している、マークしておこう)
ここにきて、エンヌは漸く様々な意図や思惑、期待が僅かに混ざった。図らずも自身が最も欲していたものに近づける存在を発見したわけだが、聡明な彼女でもまだ気づき得ないほどの無限の可能性を、カノンは秘めているのだった。
えっと、何がどうなった? 上手くいったの?
目前の老翁は少しの間、真隣の褐色肌の女性に何かしかの問いかけを行なっていた。審議というやつか?
何にせよ、対戦相手に厄介な対応をされる前に素早く幕引いてほしいものだ。取り敢えず、今回の模擬戦に関しては彼女の勝利という事実は不動の事実になったようだけど。対戦相手が疑惑を抱くことなく素直にその事実を呑み込んでくれたことが私にとっての幸運だった。ここで難癖つけられていたらどうしたものかという懸念も、取り越し苦労に済んだわけだ。
あわよくばカノン・シノザキは凡人よりはほんの少しだけ術式の運用が上手いだけで、それ以上はそれといって取るに足らない存在——程度に全生徒が認知してくれれば最高だ。
目前の名も知らぬ、勝利した少女は今後様々な局面で教師陣に期待を寄せられることだろう。せいぜい私は教室の端でその雄姿をしかと目に焼き付けておこう。
さて、一通りの試験が終了したわけだが、合格発表は日を跨ぐそうだ。
近隣に屋敷を持つ子は一度帰宅するそうだが、私のように徒歩での帰宅が困難組は空き寮に一泊すること権利が与えられる。合格者はそのままその宿舎に引っ越す人もいるようで、不合格組からすればかなり酷な話だと私は思った。
が、合否がどうであれ三食が保証され、且つ雨風を凌げる場所に滞在できるのは喜ばしいことだった。そして、今後はまだ不明だが、現段階では個室になっているのもあって、今日一杯は伸び伸びと羽を休められそうだ。
時間が許す限り、建物内を探索すべきか?
いや、それは合格が確定してからでもいいだろう。受験戦争を体験した全ての人間であれば一度は耳にするだろう煽り文句、面接及び時間外に於ける行動にもくれぐれも留意せよ、といった旨の話だ。これに関しては俗説に過ぎないが、私立校などでは教師陣が、最寄駅からその校舎まで至るのに通る通学路に一般人を称して立ち、受験生の素行をチェックしているともいう。
余りにも公的良俗に反する生徒だった場合は、如何に優秀成績者でも容姿なく落とされる、という話だ。あくまで都市伝説の範疇だけだし、名前の知りようがないしね、流石に。
私は実際の受験を体験する前に姿を消したが、この学校も多分に漏れない可能性は高い。ましてや学外周辺でなく、ここは学園内。意識しなくても受験生の行動に教師陣も目を配るようになるだろう。だからこそ、今日に至っては引き篭もるべきだ。
特に騒ぎ立てることなく、静かに部屋で暮らし、夕食後に静かに眠る。ちょうどクッキーの効果も切れかけてきたところだ。
ふと、窓の外を見ると、人集りができていた。
よくよく観察すると、共に受験をしていた人達の集まりではないか。
あるベンチを中心に、其処に半円を作るように拡がっていた集団の中心には、先程花を持たせて時の人となった女子がいた。
彼女を中心に二十名前後の男女が集っている。確か五十人ほど受験生がいたわけだが、数が合わない……だがそれもそうか、不合格が濃厚な中で宿泊権を譲与されても、利用しようとは普通の精神をしてたら思わない。あの烏合の集は、自分の中で手応えがあったのだろう。それで不合格だった時はもっともっとお笑い種だが、
ふーむ、未就学児だからまだ兆候は出ていないとばかり思ったが、その予想は裏切られたようだ。皆が皆、権謀術数が渦巻く世界に身を置いていたというわけではないが、早いうちに大人の世界に足を踏み込んでいたのだろう、誰と仲良くなり、取り入るべきかを無意識に品定めしているように思える。
そう考えた結果、成績優秀者に初手で点数を稼ごうとし始めたというわけだ。行動としては間違いではない。私は好きではないけれど。
見たところ、件の対戦相手は随分と親切なようだ、一人一人の話に耳を傾け、地位や成績などの垣根を超え、対話を続けている。これが全て、彼女の胸中で練られた周到な計画の一端であるのはら驚嘆と賞賛が同時に湧き上がるが、流石にそれはないだろう。ないと信じたい。
兎も角、重要なのは彼女を中心に殆どの人が集っているということにある。健闘虚しく敗れた私だが、位置付けとしては二位、今となっては後悔しかないが。狡猾な奴が私の膝下に入り込むなんてことは今のところなさそうなのでこれまた安堵した。
今後はもっと卒なくこなす術を学ばなければ。
今回は具体的な方針を立てながらも、人生経験の不足でとんだ裏をかいてしまった。今後、時が来るまでは爪を痕跡なく隠せるよう、日々を立ち回らなければならない。
そうだ、私は平々凡々で誰の目にも留まらない地味生徒を演じるのだ。変な能力こそ身に付いたから、少し戸惑ったが単に地味を演じるだけならそう難しくはない。
私はそう決め、不用意に外を出歩くことを控え、夕飯時まで睡眠をとることにした。




