「惨殺、そして後始末」
奏音は警察に捕まるわけにはいきません。
ですから頑張っちゃいます。
斎藤浩二の胸中には“支配”の二文字しかなかった。汚れた情動のみが今の彼の活動原理であり、日常の鬱憤の捌け口となる。なればこそ、篠崎奏音という存在が今や彼にとって必要不可欠だった。言葉とは裏腹の行動、ともいうべきだろうか。実際問題、暴力行為に及ぶのも、その間に性行為を挟むのも――全ては篠崎奏音を我が物に収めるため、それだけだった。
それに、彼の中で確かに手ごたえがあった。
自分は篠崎奏音を支配できていた、その自信が揺らぐことはなかった。それこそ奏音が些細な偽証を彼に対して見せるだけで簡単に諮れるくらいには――。
斎藤浩二の過失は、奏音が完全に懐柔できたという無根拠な自信と、彼女が如何なる方法を用いて脱出したかという考察を完全に忘れ去っていたことにある。奏音はもとより手元にあった一定の大きさを誇る石を持ち上げて、足音を立てずに接近する。
「斎藤君」
「なん――」
石の角で彼の頭蓋をひと思いに打つと、ぶんっ、という短い低音が静寂の夜闇に響いた。
すると彼は棒切れのように呆気なく転倒して、地面に転がった。
「呆気ない」
だけど、奏音の仕事は着手しだしたに過ぎない。彼を一度殴打したに過ぎない――。
彼女は意識を失った斎藤浩二の身体を仰向けにし、そこに静かに馬乗りし、一度同じ獲物で殴打。
すると、ぐふっ、という曇った声を上げて鼻腔から血が飛び出す。
(同じだ)
幾度と顔に鈍器を強打させながら考えた。
人の肌というものは予想以上に柔く、数度石の切っ先で打突させるだけで簡単に千切れ、朱色が滲んで、全ての肌色を塗装する。
(こんな屑野郎であろうが――血液は赤い、私と同じだ)
奏音にとってはそれが途端に不思議に思えてきて、嗚呼これが人体の神秘かと嘲笑を浮かべた。下賤な存在であろうが、高潔な存在であろうが違わずに同様の色を有している事実が妙に喜劇のように思えて、久方ぶりの笑いが止まらなくなっていた。
光景は、一人の少女が執拗に男の顔面を鈍器で強打し続けるという陰惨じみたものであるというのに――傍観者が一人たりともいない結果、篠崎奏音の独壇場な喜劇と化していた。久方ぶりに奏音の意識は激しく昂ぶり、この上なく興奮したのだった。加えて彼女の制服に付着した返り血が綺羅を飾り、彼女としても気分が高まっていくばかりだった。
奏音が顔面を打つ度に、数舜遅れて響いた斎藤浩二の声もなくなった。そこからも奏音は十数回に渡って打撃を加え続けたものだから、顔は痣や擦傷が量産されて最早彼を彼たらしめる要素は皆無に等しくなっており――顔面だけで判断したら、そこらの肉塊と大差なくなっていた。
(こんなものか――)
奏音としてはひと段落付いたといえようか。だが、それはあくまで小休止に過ぎなかった。
半端な仕事が数週間前の悲劇を生んだことを奏音は忘れない――だからこそ同じ轍は踏まない。そのために用意した言わば彼女の七つ道具……という程ではないが、事前に用意していた物を一つ取り出す。
縄だ。多少乱暴に扱っても簡単に千切れることはない自慢の品だ。そこそこの値段は張るが、粗悪品を掴まされるよりか断然いい、というのが奏音の持論だ。
それを奏音は斎藤浩二の首に巻き付けて交差させた上で膝を彼の腹部に置いて固定して――それを引いた。するとぎちぎちと音を立てて彼の首元に網目が刻まれていく。そうやって数十秒、一定以上の力を注ぎ続けると鈍い音と共に彼の首は折れた。
「無抵抗の人間なんて――こんなもんか」
だけどいざ終わってみれば、退屈なものだ、と奏音は思った。
「……まだ終わっていない」
さぁ、最後の仕上げに取り掛かろう。口数こそは少ないが彼女の内心はその作業に取り掛かる。
彼女としても、全仕事を終えてお縄に付く気なんて毛頭もなく――愛華と共に或ることだけを考えていた。だからこそ、この仕事に粗を残してはならないのだ。粗、それ即ちこの場に存在しない人間が今の光景を認識するということだ。奏音は完了したとて遺体をその場に放置する程雑な幕閉めをすることはなかった。
救いようのない屑だろうが、死後くらいは敬意を払う――彼女はそう信条を定めていた。
奏音は左側の下降している山道に目をやる。
そしてその方向に彼女は斎藤浩二を連れる。最も、自身で動くことはできないわけだから、伴うというよりかは運搬すると考えた方が正しい表現なのかもしれない。
斎藤の両足を脇に挟み、力いっぱいに引き摺る。すると、彼の頭部や顔面の至る場所から深紅が滴り落ちる。それが彼女の描く軌道に従うように円弧を描いていき、まるで一種の絵画のような異質の気配を放つ。硬質で罅割れた黒の大地とそれに被さる純白、そして彼から生じた朱色が緩やかに混ざって精彩を放っていた。
だが、そう悠長に光景を観覧する余裕はなかった。
というのも、物言わぬ亡骸とはいえ小柄な彼女との体格差が二倍ほどある斎藤を、柵を超えた先に運搬するのは骨が折れたからだ。が、相も変わらず通行者が存在していなかったため、落ち着いて作業を続行できた。そして柵を超えてしまえば、後は車が通ろうとも何ら問題がなかった。
次の工程に移る。
彼女は鞄から天然水が入ったペットボトルを取り出して、街道に染みた朱色に水を流した。すると、ゆっくりと純白の絨毯から色が抜けていく。そして少しすると側溝に完全に流れた。
入念に、血痕の残りがないかを確認した上で、奏音は再び柵を超えた。
そこに転がる斎藤の遺体を眺め、発起する。
ここからが一番の大仕事だ――奏音は上着を柵にかけて、鞄から円匙を取り出して、大きく息を吸って……地面に突き立てた。
彼の狙いは、全てはこの日にあった。
奏音の精神が完全に摩耗しきったあと、視野狭窄に陥っている状態で外野から刺激し、再び絶望させ、そこからあたかも自分が聖人のように手を差し伸べて、精神的に支配する。
奏音は彼の魂胆を、すぐに理解した。
彼の言う自分に対する歪曲した恋慕が真なるものかどうかなんてわからない、わかりやしない。
だけどもう、彼女に拒否権なんてなかった。
愛華が用意してくれた居場所を、帰るべき家を壊せるはずがない。彼奴を殺して、全ての障害を滅してたった一つのかけがえのないものを救えるのなら容赦しなかった。
愛華との同居生活は泡沫の夢だったけれど、とても幸せだった。
造られた少女が最後に見た夢は本当に温かく、これ以上のない幸福に包まれた。
本当の意味で、奏音は愛華を愛せていた。
造られた、用意された感情ではなく、不器用ながらに自分で模索した思いの丈を彼女にはぶつけられていた。
そんな最初で最後の出来事がなかったら、とうに彼女は現実に耐え切れず、その命を自ら断っていた。
――そうならなかったのは、紛れもなく愛華のお陰だよ?
感謝が止まらない、せめて最後くらいは……その口で感謝を告げたかった。
書置きでもしておけばよかった、と後悔が堰き止められないくらいに噴出してくる。どうして後悔は先に立たないのだろうか。わかっていれば、最期をもっと充実させられたと思う。直前の情交を、もっと有意義に――彼女を悦ばせられた。が、後の祭りだ。
それこそ、本当の本当に私の精神が耐え切れなくなって、回復させることさえもできなくなって粉々になるその時までは愛華のことを忘れないでいよう。
--私に恋を教えてくれた初めての人。
身も心も犯された、泥まみれの身体を拒絶することなく受け止めてくれた初めての人。
本当に辛かった時にいつまでもそばにいてくれた人。
吐息を、体温を、その声を私は絶対に忘れない。忘れてなるものか。
奏音はそっと瞳を閉じて、次なる目的地――学舎へと向かった。
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