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魔法使いに平穏は訪れない~平穏を返して欲しい魔法使いと魔法使いを目指す少女の日常~『魔法使いのもとには面倒事が舞い込む』  作者: 三上堂 司
満月の夜に、魔法使いの目覚め

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Ex.卒業という名前の区切り

春の季節、卒業を書いた短編です。

楽しんで頂けたら幸いです。


改めて、卒業なされた皆さま。

ご卒業おめでとうございます。

 朝の光が、洋館の硝子窓を透過してダイニングの床に淡い、けれどどこか暴力的な影を落としていた。


 銀のカトラリーが白い磁器に触れる硬質な音。

 カチャリ、という耳障りでもあり心地よくもあるその響きだけが、静かな時間を、まるで正確なメスのように切り刻んでいる。

 魔術も、怪異も、今はどこにもない。

 ただの朝食の風景。

 この西園寺の洋館に居ると、外界から切り離された場所だという感覚に襲われる。


 ───ふと忘れてしまいそうになる。

 西園寺(さいおんじ)(つむぎ)という少女が、魔法使いという怪物であることを。


 いや、忘れたいと願っているのか。どちらにせよ、それくらいには穏やかな朝だった。

 ティーカップから立ち昇る紅茶の湯気がゆらりと揺れる。

 その静けさの中で、不意に、言葉が落ちた。


「日本の学校はどうして三月に終わるの?」


 クリスティアナの問いかけだった。

 流暢な日本語だけれど、どこか異国特有の硬い響きが残っている。

 隣に座るアレクサンドラも同意するように静かに頷いていた。


 ヨーロッパでは九月始まりが一般的だ。

 夏の終わりに新しい年度が始まり、初夏に終わる。

 だから三月という、春の半ばの中途半端な時期に学校が終わる日本の制度は、彼女たちには少し奇妙に見えるのだろう。


 燈華はカップを持ったまま、少しだけ視線を落とした。

 琥珀色の水面に、ひどく間の抜けた自分の顔が映っている。


 桜の季節だから。

 そう説明することは簡単だ。日本の死生観と結びついた、便利な記号のようで。


 春は出会いと別れの季節だから。

 そう言うこともできる。テレビの向こう側で繰り返される、聞き飽きた常套句でも良ければ。


 けれど、それだけでは彼女たちの根本的な疑問には答えていない気がした。

 だって、それはただの言い訳でしかない。

 そもそも、卒業なんてものは───


「春が別れの季節だから、かな」


 結局、そんな曖昧な、味のしないガムのような答えが口から出る。


 クリスティアナは、手に持った銀のスプーンを、磁器の縁に音を立てぬよう慎重に置いた。


「日本の卒業式って特殊だよね。

 この前テレビで偶然見たけれど、私の知っているものと違ってビックリしたよ」


 クリスティアナが不思議そうに首を傾げた。

 海外にも似たような行事はある。

 だが、日本のそれは少し特別だ。異常と言ってもいい。

 涙を流し、別れを惜しむ。

 まるで、二度と会えないかのように。

 まるで、死別でもするかのように。

 たった数年、同じ箱の中に詰め込まれていただけの、薄っぺらい時間なのに。

 なぜあんなにも狂気じみた感傷に浸れるのか。


「卒業って変だよね」


 燈華がぽつりと呟く。

 向かいの席で紅茶を飲んでいた紡が静かに目を上げた。

 黒い瞳。何もかもを見透かすような、そんな視線で。


「そうね」


 短く相槌を打つ。

 その一言だけで燈華の頭の中に一年前の記憶がよみがえった。


 ◇


 春休み直前の放課後。

 茜色に染まる教室には、燈華と大津(おおつ)秋姫(あき)の二人しかいなかった。

 大掃除の最後。

 机はすべて後ろに下げられ、無人の教室はやけに広く感じられた。

 人がいない校舎という空間は、それだけで非日常の空気を帯びていた。

 いつもは数十人の熱気で満たされた、騒がしい場所なのに。

 今はただの空っぽの箱みたいに見えた。


「卒業って変だよね」


 窓の外を見ながら、燈華が言った。


「ただ学校が終わるだけなのに。

 たった三年間の教育過程が終わるだけなのに」

「でも、大きな節目だと思うよ」


 秋姫が微笑む。

 箒を持ったままの、いつもの穏やかな顔。

 彼女の普段と変わらない在り方が今はとても心地よかった。


「だって学校から出ても、所属が社会へ変わるだけで、世界は何も変わらない」


 燈華は窓枠に寄りかかったまま、少しだけ冷めた声で言った。

 彼女にとって、学校はすでに世界の全てではない。

 魔法という裏側の世界の頂点を知る者として、魔術を学び始めた者として、人の世の儀式は酷く滑稽に見えていた。

 日常と非日常の境界線。

 そこに立たされた者特有の、奇妙な疎外感。


 私はもう、あっち側には戻れない。

 いや、戻りたくないのか。


「でもさ、面白い話もあるんだよね」


 燈華はふと、昔聞いた噂を思い出す。

 口に出したのは、ただの現実逃避だったのかもしれない。


「この学校には卒業式の日にだけ現れる怪談があるんだよ」

「怪談?」


 秋姫が首を傾げた。


「最後の出席番号って話」


 卒業式の日。

 誰もいない教室で、一つだけ名前が呼ばれる。

 そこにいないはずの生徒の番号。

 卒業できなかった誰かの未練なのか。

 それとも、学校そのものが生徒を引き止めようとしているのか。


 ありがちな話。

 どこにでもある、取るに足らない、面白みのない都市伝説。

 けれど。


 そのときだった。


『───出席番号』


 声がした。

 二人とも、ピタリと動きを止める。

 校内放送のスピーカーからではない。

 教室の壁のどこかから、まるで水が染み出すように、ジワリと滲み出るような無機質な声。

 呼ばれた番号は。

 燈華のものでも、秋姫のものでもない。

 このクラスには存在しないはずの数字だった。


「……今の」


 燈華が息を呑む。

 魔術の気配はない。

 だが、明確な違和感がそこにあった。

 空気が微かに歪むような、危険信号が点滅するような悪寒。

 魔術ではない。もっと、血生臭い、人間の───


 しかし、秋姫が少しだけ考えてから、あっけらかんと言った。


「あ。それ去年卒業した先輩の番号だよ」


 それだけだった。

 それ以上、何も起きない。

 教室はまた、死んだような静けさを取り戻し、夕日だけが窓から差し込んでいた。


 恐怖はなかった。

 ただ、日常の隙間に、ほんの少しだけ冷たい風が吹き込んだような。

 そんな奇妙な感覚だけが残った。


 ◇


「それって幽霊?」


 クリスティアナの声で、燈華は朝の洋館へと強引に引き戻された。


「ううん」


 燈華は首を振る。


「多分、違うと思う。あれはもっと、こう……」


 説明しようとして、言葉が途切れる。

 紡が、静かにティーカップを置いた。

 カツン、と硬い陶器の音が響く。


「学校って場所はね、人が入って出て、そして去っていく場所なの」


 少しだけ間を置いて、彼女は続ける。


「だから残るのよ。思い出が」


 人が無意識に落としていく感情の欠片。

 それが降り積もって溜まっていく場所。巨大なゴミ箱のように。


 そのとき。

 玄関の重厚な扉が開く音がした。

 足音が、廊下を進んでくる。一定の、感情を持たない機械のような歩み。

 リビングの扉が開き、神代(かみしろ)流哉(りゅうや)が姿を見せた。

 夜の冷気を微かに纏っている。


「おかえり」


 燈華が言う。

 流哉は、小さく頷くだけだった。


「リュウちゃん。卒業式って知ってる?」


 不意の問い。

 流哉は足を止め、少しだけ考えた。


「ああ、知っているよ」


 短く答える。


「あれは区切りだ」


 彼が淡々と告げる。

 戸惑う燈華へ向け、さらなる言葉が紡がれた。


「人が前に進むためのな」


 冷徹な彼なりの一つの解釈。

 過去を切り捨て、停滞を許さない人間の業。

 人間は、そうやってしか生きられない。

 燈華はふと思い出して、口を開いた。


「そういえばさ。学校で変な声聞いたことあるんだけどさ」


 一年前の教室での出来事を、簡単に話す。

 空っぽの教室で呼ばれた、存在しないはずの番号。


「幽霊かなって思ったんだけど」


 使い古されたジッポーの蓋を、親指一つで無機質な金属音と共に開閉させる。その動作だけが、彼がその場に存在している唯一の証左だった。


 流哉は表情を変えずに、首を横に振りながら言った。


「違う」


 断言だった。

 そこに疑問を挟む余地はない。


「幽霊じゃない。もっと単純な───」


 そして静かに続ける。


「学校は」


 ほんの少しだけ、視線を落とす。


「記憶が蓄積する場所だからな」


 それだけだった。

 莫大な人間の未練を養分にして自立する、巨大な箱。

 流哉の言葉はそれ以上の説明を完全に拒絶していた。

 これ以上語る意味はないとでも言うように。


 彼は踵を返し、静かな足音を立てて廊下へと消えていく。

 燈華は、その背中をただ見送る。


 卒業。

 人はそこから先へ進んでいく。

 けれど。

 永遠にも似た時間を生きる魔法使いである彼に。

 そんな区切りは、訪れるのだろうか。

 彼に終わりは来るのか。

 いや。


 本当のところは、誰も知らない。

 ただ朝の静けさが、再び洋館を包み込んだ。

 ……それだけだった。

※三上堂司からのお願い※


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