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誰の台本でもない私を、笑って終えるまで  作者: Eternity Beat


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第2話:画面の中の仮面舞踏会

高層ビルの四十七階、磨き抜かれた複層ガラスの向こうには、大都市の夜景が無機質な光彩を放って広がっていた。


眼下を走る大動脈の幹線道路。規則正しく連なる赤いテールランプの列は、まるで街という巨大な生命体の血流のようだ。その整然とした循環を見下ろしながら、私は冷めきった紙コップのブラックコーヒーに口をつけた。舌の付け根に広がる苦味さえ、もう何の刺激ももたらさない。


「穂波さん、明朝の経営戦略会議の差し替えスライド、共有フォルダに格納しました。確認お願いできますか」


斜め向かいのパーテーションから、後輩の淡々とした声が飛んでくる。


「ありがとう、すぐ見るね」


口角をきっちりと十五度引き上げ、明瞭で淀みのないトーンで返す。声の高さ、発音の明瞭さ、柔らかく添える会釈の角度。そのすべてが、新入社員研修で配られた「模範的アソシエイト」の型紙通りだった。


就職活動という名の品評会を、私は完璧な成績で通過した。


誰もが知る大企業の総合職、倍率数百倍の内定通知。母は親族一同に電話をかけて涙を流し、大学の就職支援課は私の合格体験記をパンフレットの巻頭に載せた。あらかじめ敷かれたレールは、寸分の狂いもなく「誰もが羨む人生」のホームへと滑り込んだはずだった。


カタカタと、キーボードを叩く音だけがフロアに散発的に響く。


画面に並ぶのは、横文字の専門用語と、小数点第二位まで精緻に揃えられた市場予測グラフ。美しく整えられたスライドをめくりながら、私はときおり指を止めた。


かつて青黒いペンだこを作っていた右手中指の先は、滑らかなプラスチックのキートップを叩く日々の中で、すっかり平坦に均されていた。爪の先には薄いピンクのマニキュア。母が好んでいたのと同じ、清潔で誰からも減点されない「正解」の色。

だが、キーボードの上を滑るその指先は相変わらず冷え切っていて、いくら叩いても血が通う感覚がなかった。私自身の手でありながら、誰かの指示を代行するためだけに動く、冷たい義肢のようだった。


深夜零時過ぎ、タクシーのシートに身を沈めると、私は無意識にスマートフォンを取り出し、親指を走らせていた。


青白く光る液晶画面。タイムラインには、それぞれの生活を切り取った鮮やかなスナップショットが次々と流れていく。


『プロジェクト無事完遂! 最高のチームに感謝』という文面とともに写る、ホテルのラウンジでのシャンパングラス。

『週末は少し足を伸ばして高原の避暑地へ』というキャプションに添えられた、柔らかな朝陽が差し込むテラス席の朝食。


その中に、由奈の投稿があった。


都心の高級レストランのプレート。繊細に盛り付けられたキャビアとエディブルフラワーの脇には、さりげなく舶来の高級バッグがフレームインしている。

『同期の中で一番乗りでリーダー拝命。弱音吐いてる暇はないけど、走れるところまで走る! #WorkHardPlayHard #自己成長』


投稿されてからわずか十五分で、数十個の「いいね」と羨望のコメントが連なっていた。


由奈は、ゲームのルールを完全に乗りこなしていた。入社後も貪欲に社内政治の機微を読み、幹部に顔を売り、休日は洗練された日常を演出してフォロワーを増やしている。彼女にとって他者の視線は、自分という存在を高く値付けするための燃料なのだ。


私は、親指の腹で液晶のガラスを小さく撫でた。


胸の奥に湧くのは、羨望でも嫉妬でもなかった。ただ、皮膚の下を冷たい砂がさらさらと流れていくような、実体のない焦燥だった。


画面に映るすべての人が、手入れの行き届いた仮面をつけ、誰かに見せるための台詞を完璧に朗読している。そして私もまた、その仮面舞踏会の立派な踊り子だった。


――私のこの人生は、誰の採点のために演じられているのだろう。


母のため。上司のため。画面の向こうで見知らぬ誰かに「満ち足りている」と思わせるため。

どれほど称賛を集めても、誰かに「すごいね」と褒められても、胸の真ん中にぽっかりと空いた風穴は塞がらない。むしろ、外側の飾りが豪華になればなるほど、内側の空洞は深く、暗く、冷え冷えと広がっていく。


眠れないまま迎えた、十月の月曜日の朝だった。


冷たい秋雨が、街全体を灰色に濡らしていた。

午前八時十五分。乗り換え駅のプラットホームは、濡れた傘と黒いコートに身を包んだ通勤客で埋め尽くされている。誰もが前方の人の後頭部を見つめ、濡れたアスファルトの匂いと湿気の中で押し黙っていた。


定刻通り、滑り込んできた電車のドアが左右に開く。


吐き出される人の波が去り、今度は乗り込む人の波が動き出す。背後から無言の圧力がかかり、私の身体も自然と前へ押し出された。


その時だった。


ドアの敷居を跨ごうとした私の右足が、まるで分厚い鉛を流し込まれたかのように、ぴたりと止まった。


「……え?」


声にはならなかった。

一歩、前に出そうとする。だが、足の裏がホームの黄色い点字ブロックに縫い付けられたように、一ミリも持ち上がらない。


「ちょっと、すみません」


背後の男性が苛立ち混じりに私の肩を擦り抜け、車内へ割り込んでいく。舌打ちの音が雨音に混じって耳朶を打った。


視界が急速に狭窄していく。

電車のドアの向こう側――すし詰めの車内、吊り革を握る人々の虚ろな瞳、窓ガラスに反射する無数の仮面。そこに足を踏み入れた瞬間、私という存在の輪郭が完全に砕け散ってしまうような、圧倒的な恐怖が喉元までせり上がってきた。


息が吸えない。肺に空気を入れる方法を、突如として忘れてしまったかのようだった。


心臓が肋骨の内側を激しく乱打し、冷や汗が首筋を伝う。

プシュー、と無機質な音を立ててドアが閉まり、列車は静かに加速して私の目の前を走り去っていった。


取り残されたホームの端で、私は冷たいコンクリートの柱にすがりついた。


足元に落ちた傘の先から、雨の滴がぽたぽたと落ちていく。

カバンの中では、社用のスマートフォンが執拗に震え続けていた。上司からのチャットか、朝会のリマインドか。


もう、その画面を開くことすらできなかった。

敷かれたレールの上を、私はこれ以上、一歩たりとも進むことができなくなっていた。

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