表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/13

第9話 別世界


四月。東京は桜が満開だった。

美大のキャンパスに足を踏み入れた瞬間、桃子は立ち止まった。

広い。人が多い。そして全員が、どこか違う空気をまとっていた。

自信というのか。余裕というのか。

育ちの良さが、歩き方に出ていた。

最初の授業は、自己紹介を兼けた課題だった。

「自分を表現する作品を、一週間で仕上げなさい」

教授はそれだけ言った。

隣の席の女子が、すぐにスケッチブックを開いた。迷いがない手つきだった。

向かいの男子は既にイメージが固まっているのか、目を閉じて考えている。

桃子は、鉛筆を持ったまま動けなかった。

自分を表現する。

昭和園芸では、描くものに迷ったことがなかった。目の前にあるものを描いた。感じたことを描いた。それだけだった。

でもここでは違う気がした。

みんなが「作品」を作っている。桃子はただ「絵」を描いてきた。

その違いが、急に怖くなった。

一週間後、作品の講評が行われた。

同級生の作品が並ぶ。

抽象的な色彩。緻密な構図。見たことのない技法。

どれも、桃子には思いつかないものだった。

桃子が出したのは、あの食卓の絵だった。

新しく描いたものではない。昭和園芸で描いた、ラップの皿と空の椅子の絵だった。

他に出せるものがなかった。

教授が一枚ずつ講評していく。

桃子の絵の前で、教授が止まった。

長い沈黙だった。

「これは誰の作品だ」

「吉田です」

教授は桃子を見た。

「どこの出身だ」

「長野です。昭和園芸高校という——」

「聞いたことがない」

「底辺校です」

教室がざわついた。

教授はまた絵を見た。

「テクニックは荒い。でもこの絵には、痛みがある」

それだけ言って、次の作品へ移った。

桃子は自分の絵を見た。

痛みがある。

褒められたのか、貶されたのか、分からなかった。

でも、見てもらえた。

それだけは確かだった。

その夜、桃子は田中先生にメッセージを送った。

「なんとかやってます」

すぐに返信が来た。

「そう」

桃子は笑った。

変わらない人だ。

スケッチブックを開いて、今日見た同級生たちの顔を描き始めた。

逃げるためじゃない。

ただ、描きたかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ