第98話 S級冒険者は諦めない
式典が終わった夜、王城裏庭は妙に静かだった。
昼の喧騒が嘘みたいに消え、風の音だけが残っている。
そこで湊を待っていたのは、カナンだった。
「隣席、おめでとう」
開口一番がそれだ。
「棘がある」
「気のせいだ」
絶対に気のせいではない。
夜風が裏庭の生け垣を撫でていく。
カナンは式典の礼装のまま来たらしく、袖口の飾り紐だけ既にほどいていた。
着慣れない、と口では言わないところがこの人らしい。
カナンは欄干にもたれたまま、しばらく空を見ていた。
それからふっと笑う。
「王女様、優勢だな」
「否定しづらい」
「だろうな」
そこで終わらせず、彼女はきちんと続けた。
「でも、私はまだ負けてない」
焚き火の夜と同じだ。
この人は、引く時も逃げる時もたぶん事前に宣言しない。
残ると決めたら、こうしてまっすぐ言う。
王都南西の旧街道で夜営した時も、彼女は火の向こうから目を逸らさなかった。
あの時は、答えを先へ延ばすことだけ許してくれた。
今夜は、延ばした先の話をしに来たらしい。
「国を背負ってる相手は強い。公の場じゃ、なおさらだ」
カナンはそこで一度だけ言葉を切った。
「でも……戦場なら勝つ。旅なら、もっと負けない」
「張り合う場所の選び方が独特だな」
「お前相手ならこれでいい」
カナンはそう言ってから、一歩だけ近づいた。
「覚えとけ。次にお前が危ない場所へ行く時、一番先にお前の隣に立つのは私だ」
断言だった。
自信でもあるし、願いでもある。
あの決戦の夜、彼女は転移炉の入口で湊を見送った。
読むなら雑音は少ない方がいい――そう言って、湊は一人で地下へ降りていった。
カナンはその背を、扉の先まで追えなかった。
たぶん、それがずっと引っかかっている。
次は同じ思いをしない、と決めた人間の声だった。
湊はあの夜の、扉の外側を想像してみる。
彼女はあのあと、南橋の戦場で剣を振るっていた。
だが、どれだけ敵を斬っても、扉の向こうにいる湊には何もできない。
それがどういう時間なのか、待たせた側は知らないままだった。
湊は少しだけ笑う。
こういう熱さに救われる時があるのを、もう知っていた。
「じゃあ、装備はもっと良くしないとな」
「そうやって逃げるところは嫌いだ」
「逃げてない。次の準備してるだけ」
言ってから、湊は少し黙った。
違う。
半分は逃げている。
装備の話にすれば、職人として返せる。
でもそれだけでは、カナンの言葉にちゃんと向き合ったことにはならない。
「……まだ、答えを出せてない」
カナンの目がわずかに細くなる。
「知ってる」
「リゼリアにも、お前にも、たぶん失礼な状態だと思う」
「思うなら、いつか言え」
責める声ではなかった。
だから余計に逃げ場がない。
湊は頷いた。
「言う。国の話に隠さずに」
その返しに、カナンは一瞬だけ口の端を上げ、それから肩を竦めた。
「まあいい。続きがあるなら、私はまだ勝負できる」
カナンは欄干から身を起こし、夜空に向かって伸びをした。
「明日からまた仕事だ。次の装備の相談、早めに寄越せ」
「もう考えてある。籠手の継ぎ目、直したいんだろ」
「……気づいてたか」
「職人だからな」
そういう会話がいちばん長く続く相手なのだと、夜気のゆるみ方で分かった。
王国を巡る争いに大きな区切りがついても、カナンは自分の恋まで終わらせる気はない。
そう決めているらしかった。
そして湊も、その思いを拒み切れずにいる。
S級冒険者は諦めない。
そう決めている人が隣にいるだけで、ルーメリアの先の時間まで少し見える気がした。
毎日21時更新予定。お気に入り登録ぜひよろしくお願いします。




