第96話 崖っぷち小国の逆転
基盤工式の再起動から三日後、グランゼル帝国の使節がもう一度王都へ来た。
今度は条約改定要求ではない。
“情勢確認”という名目だ。
つまり、ルーメリアがまだ飲み込みやすいままかどうかを見に来たのだろう。
だが王都は、前と違った。
三日で急に国が別物になったわけではない。
辺境で始めた規格化、王都で繋いだ通信塔、兵站局が積み直していた在庫、工務局の若手が抱えていた修繕案。
基盤工式の再起動で、それらがようやく同じ流れとして噛み合ったのだ。
門の運用は淀みなく進み、通信塔は途切れず、兵装の規格は揃い、穀倉の物資回転も速い。
何より、地方から王都へ入ってくる御者たちの顔つきが違う。
止まる前提ではなく、通る前提の顔で門をくぐってくる。
使節代表のレオンハルト・ヴァイスは表情を崩さなかった。
けれど、視線だけは何度も変わった。
予想より整っている、と。
会談の席で、レオンハルトはまず水を向けてきた。
「北部国境の補給計画を拝見したい。むろん、開示できる範囲で結構です」
探りだ。
断れば隠していると取られ、全部見せれば手の内が割れる。
「要約版をお渡しします」
リゼリアは即答した。
「数字は月次で更新されます。古い紙を持ち帰られても、貴国の判断を誤らせるだけですから」
使節団の書記が、ちらりと顔を上げた。
半年前のルーメリアなら、開示か拒否かで一晩は揉めていたはずだった。
会談の途中、レオンハルトは一度だけ席を立ち、窓から王都の大路を見下ろした。
ちょうど、地方から着いた荷車列が門をくぐるところだった。
検問で止まらない。
積荷も降ろされない。
通行証は検査灯と結晶板を順に通り、それでも列は流れ続けている。
検査を減らしたのではない。
検査が、速くなったのだ。
以前なら、同じ門で半日は待たされていたはずだった。
「……通行の作法を、変えましたか」
「規格を揃えただけです」
湊が答えると、レオンハルトは小さく頷いた。
感心ではない。
値踏みの計算を、もう一度やり直す顔だった。
食い物にするには、以前より手間も兵も要る、と。
それでいい。
帝国は強さには退かないが、面倒には立ち止まる。
短い会談の最後、レオンハルトは書面を一枚差し出した。
「条約改定案の再協議は、時期尚早と本国へ具申いたします。ルーメリア王国の国内安定を、まず見極めるべきです」
決めるのではなく、持ち帰って具申する。
査定役の職分を、この男は一歩も越えない。
それでも、綺麗な言い方だった。
要は、今すぐ折れる小国ではなくなったと、帝国へ報告されるということだ。
リゼリアは書面を受け取り、一度だけ読み返してから頭を下げた。
「正確に見ていただけたこと、感謝いたします」
勝ち誇りもせず、へりくだりもしない。
その距離の取り方に、レオンハルトはもう一度だけ視線を留めた。
「今の兵站で、戦えるか」
使節団を見送ったあと、カナンが湊に尋ねた。
「正面から大国と殴り合うのはまだ無理」
湊は即答した。
「でも、即時侵攻で食える国じゃなくなった」
それが大事だった。
強国は慈悲で手を引くわけじゃない。
割に合わないと判断した時だけ、少し考え直す。
今のルーメリアは、ようやくそこまで来た。
夕方の御前報告で、アルヴェインが口元を緩める。
「辺境の兵からも知らせが来ている。帝国側の偵察は増えたが、踏み込みはない」
「値踏みされてるな」
カナンが言う。
「値踏みされて、飲み込みにくいと思わせたなら上出来だ」
湊は肩を回した。
「それにな」
アルヴェインが続けた。
「国境の村から、若い者が戻り始めた。出稼ぎに出ていた連中だ。守られると分かった土地には、人が帰ってくる」
数字にはまだ出ない変化だった。
だが、国の底が固まる音は、そういう場所から先に聞こえてくる。
崖っぷち小国の逆転。
それは巨大な勝利宣言ではない。
ただ“次の一口に選ばれにくくなる”ところまで、ようやく持ち直したということだ。
でも小国にとって、その一歩は大きい。
生き延びる時間が増えれば、次の手を打てる。
次の手が打てれば、さらに強くなれる。
ルーメリアはまだ脆い。
それでももう、簡単に飲み込める国ではなくなり始めていた。
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