第85話 結界板、全軍配備
決戦前夜、王城中庭では最後の装備配布が行われていた。
木箱を開けるたび、中から出てくるのは同じ形の結界板。
装飾はない。
輝きも控えめ。
でも兵たちの視線は、それに釘付けだった。
兵たちは列を作り、一枚ずつ結界板を受け取っていく。
両手で持つと、思っていたより軽い。
そのことに、誰もが少し戸惑った顔をする。
重く厳めしい魔道具を想像していた者ほど、拍子抜けする。
だが、その軽さこそが要だ。
重ければ、訓練不足の兵が咄嗟に構えられない。
「本当に全軍分あるのか」
誰かが呟く。
「全部はない」
湊ははっきり言った。
「だから優先順位を決めた。門、塔、輸送護衛、指揮補助。この順」
夢みたいな万能装備ではない。
だが、限られた数でも一番効く場所へ置けばいい。
数が全軍に行き渡らなくても、配置と交代を決めて全軍の運用計画へ組み込めば、軍全体が結界板を前提に動ける。
それなら、一枚も無駄にならない。
辺境で叩き込んだ考え方だ。
全員へ薄く配って全員が中途半端になるより、急所へ厚く置いて急所を絶対に割らせない。
資源が足りない国の戦い方は、いつもそこから始まる。
湊にとっては、もう手に馴染んだ理屈だった。
加えて、南橋の石畳下には足止め楔も埋めた。
青鷹を釣ったあの石橋と同じ発想だ。
逃走側だけが詰まり、追う側は通れる。
使う機会が来ないのが一番だが、来た時は一拍で勝負を終わらせるための保険だ。
備えというのは、九割が無駄になって、残り一割で命を拾う。
無駄を惜しんで一割を捨てる軍から、先に死ぬ。
配布後、即席の実射試験が始まった。
王都兵と辺境兵が混成で三列に並び、向かい側から訓練用魔法弾を浴びる。
以前なら散っていた。
だが今は違う。
号令は、辺境で組んだ三人一組をそのまま隊規模へ広げたものだった。
前列が受け、中列が逸らし、後列が突く。
個人技ではなく、噛み合わせで守る。
だから、王都兵と辺境兵の混成でも、同じ手順さえ覚えれば連携できた。
「一列、展開! 二列、角度調整!」
結界板が噛み合い、青白い壁が連なる。
一発目の魔法弾が弾かれ、二発目が逸れ、三発目でようやく表面が大きく揺れる。
そこへ後列が前へ踏み出し、交代。
「押し返せる……」
若い兵の声が震えた。
王都兵は強国の遠距離魔法へ苦手意識があった。
数で負け、威力で負け、結局は先に崩れる。
その記憶が、戦う前から足を竦ませる。
だが結界板があるだけで、初撃の恐怖がかなり薄れる。
一発目さえ凌げると分かれば、人は前を向ける。
それは戦力以上に大きい。
恐怖で崩れる軍は、強さの前に心から負けるからだ。
「この国でも、勝てるかもしれない」
誰が言ったのか分からない。
でも、その一言は中庭のあちこちへ広がった。
湊は結界板の継ぎ目を一つずつ見て回り、最後に持ち手の留め具を締め直す。
細部は大事だ。
全軍配備といっても、最後に命を守るのはこういう一手になる。
配布の終わり際、リゼリアが中庭へ現れた。
兵たちの間を歩き、一枚の結界板へ手を触れる。
「これで皆を守れますか」
「守りやすくはなります」
湊が答える。
「あとは、みんなが崩れないことです」
リゼリアは結界板の表面を、確かめるように一度だけ撫でた。
それは武器ではなく、盾だった。
誰かを倒すためでなく、誰かを生かして帰すための道具。
その意味を、彼女はきっと正確に分かっている。
王女は頷き、兵たちへ向き直った。
「この国は、皆さんへ“勝て”とだけ命じません」
その声は静かだが通る。
「生きて帰ってください。そのための準備は、ここにあります」
中庭が静まり返る。
そして次の瞬間、兵たちの背筋が揃った。
結界板、全軍配備。
それは装備の話であると同時に、“この国でも勝てるかもしれない”という感覚を初めて全軍へ配る瞬間でもあった。
配り終えたころには、夜もだいぶ更けていた。
兵たちは各々の持ち場へ散り、中庭には湊とカナンだけが残る。
「あとは、夜明けだな」
カナンが結界板を一枚、肩に担いで言った。
「ああ」
東の空はまだ暗い。
だが、その暗さの底で、王都中の兵が同じ守りの手順を胸に朝を待っている。
最初の火が上がるまで、もう幾刻もなかった。
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