第82話 兄妹の決裂
継承会議のあと、ガルドはわざわざ通路の突き当たりで待っていた。
王家の私的回廊。
人気は払われ、周囲にいるのは最低限の護衛だけ。
いかにも“兄妹の会話”を装える場所だった。
「妹よ」
ガルドは芝居がかった声で言う。
「ずいぶんと見違えたな」
「兄上も」
リゼリアは足を止める。
「ここまで露骨だと、かえって清々しいです」
湊とカナンは少し後ろで控えた。
口を挟む場ではない。
だが、空気が切り合いじみているのは十分伝わる。
カナンが、ほんの少しだけ重心を落とした。
護衛として、いつでも動ける構え。
私的回廊で王族同士が向き合うというのは、それだけ穏やかでない、という合図でもあった。
ガルドは笑ったまま、視線だけを冷やす。
「お前はまだ分かっていない。ルーメリアのような小国は、強国に従って生きるしかない」
その言葉は、以前から滲んでいた本音の完成形だった。
「頭を下げ、利を差し出し、帝国の配給網に組み込まれればいい。独立の誇りなど、飢えた民には贅沢だ。従えば、少なくとも民は冬を越せる。――そうして王家さえ残せば、国の形は守れる」
淀みがなかった。
怒りでも、保身の言い訳でもない。
ガルドは本気で、それを最善の統治だと信じている。
だからこそ厄介だった。
悪人なら倒せばいい。
だが、誤った正義を握った王族は、倒すだけでは終わらない。
湊は思わず眉をひそめる。
国を守るじゃない。
王家を残すだけだ。
辺境で見た顔が、次々に浮かぶ。
水路を直して泣いた老人。
保存食の包みを頭に載せて遊ぶ子ども。
量産槍を“湊槍”と呼んで笑った若い兵。
ガルドの言う「国の形」には、その誰も入っていない。
入っているのは、玉座と、それを守る自分の椅子だけだ。
リゼリアも同じものを見たのだろう。
その目が、完全に冷えた。
「食い物にされて生きるくらいなら、自分の国を立て直します」
ガルドが鼻で笑う。
「理想論だ」
「兄上のそれは理想ですらありません」
一歩、リゼリアが踏み出す。
「辺境は戻り始めました。兵は立ち直り、市場は息を吹き返し、王都の流れも変わりつつあります。わたくしは、国がまだ再建できると知っています」
「その異邦人が作った見せかけでか?」
ガルドの視線が初めて湊へ刺さる。
「貴様もいずれ分かる。国は道具ではない。思い通りには組み替えられん」
「だから腐った流れを残したままなんですか」
湊は静かに返した。
「人が死ぬって分かってても」
「口を慎め」
ガルドの声が初めて荒くなった。
その瞬間、リゼリアが前へ出る。
完全に庇う位置だった。
「彼へ何を言おうと構いません」
だが声は凍るほど静かだ。
「ただし、国を売る理屈を正論のように語るのはおやめください」
それは、妹が兄へ向ける言葉の限界を、明確に踏み越えた一言だった。
血の繋がりより、国の在り方を選ぶ。
リゼリアはその選択を、ここではっきり口にしたのだ。
空気が切れた。
もう取り繕う余地はない。
兄妹の決裂は、この一瞬で決定的になった。
ガルドは数秒だけ無言でリゼリアを見たあと、ふっと笑みを戻した。
だが目だけは笑っていない。
「後悔するぞ」
「しません」
「その男も、お前もだ」
後悔するぞ、という言葉に、ガルドは何の具体も付けなかった。
だが付けないからこそ、重い。
脅しに中身を書かない人間は、たいてい中身をもう用意し終えている。
湊は背中の古傷がうずくような、嫌な予感を覚えた。
言い捨てて去っていく背中へ、カナンが露骨に殺気を飛ばした。
回廊に静寂が戻ってからも、誰もしばらく動かなかった。
最初に息を吐いたのは、湊だった。
「完全に割れましたね」
「ええ」
リゼリアは短く答える。
「でも、これでよかったのです」
その横顔に迷いはない。
ただ、少しだけ疲れて見えた。
「兄妹だったんですよね、一応」
湊がぽつりと言うと、リゼリアは小さく頷いた。
「幼いころは、姉上と三人で庭を走りました。兄上は、いつも一番後ろから見ているような人でした」
「今も後ろから見てますよ。妹が国を立て直すのを」
その言い方に、リゼリアは少しだけ笑った。
痛みを抱えたまま前を向く、そういう笑い方だった。
湊は心の中でガルドの言葉を反芻する。
小国は従うしかない。
あれが敵の核心だ。
なら、こちらの戦いももう迷う必要はない。
ルーメリアを、飲み込めない国へ変える。
それだけだった。
だが、決裂は同時に時計の針でもあった。
言葉で勝てないと悟った人間は、言葉以外の手段へ移る。
その夜から、王都の各所で兵の影が普段と違う動き方を始めたことに、湊が気づくまで――そう時間はかからなかった。
毎日21時更新予定。お気に入り登録ぜひよろしくお願いします。




