第79話 情報網の逆利用
青鷹の連絡は、暗号そのものより“癖”が分かりやすかった。
受け渡しの時刻。
紙の折り目。
印蝋の温度。
そして、通話板の点灯間隔。
「全部が雑に見えて、実は同じ手だ」
湊は回収資料を机へ並べた。
「職人の目って、そういうところまで見えるのか」
書記官が怯えたように聞く。
「人が作ったものなので」
道具と同じだ。
作った人間の癖は、必ずどこかに残る。
几帳面な工作員は折り目で割れ、横着な工作員は時刻で割れる。
青鷹は組織として優秀だが、優秀な組織ほど手順が統一されている。
統一された手順は、つまり読める。
青鷹の通信癖を掴んだ湊は、今度は逆にそれを使った。
通信塔網の一部へ偽の指示を流す。
物資移送の時刻をずらしたように見せる。
捕まった工作員しか知らない印を、あえて別口へ混ぜる。
誰が反応したかで、内通者の位置が浮かび上がる仕組みだ。
色の違う染料を、別々の水路へ流すようなものだ。
どの色がどこへ滲んだかを見れば、地下でどう繋がっているかが分かる。
「釣りだな」
カナンが言う。
「まただな」
「嫌いじゃない」
準備には三日かけた。
偽の指示は、本物の書式で、本物の経路へ、本物の時刻に流す。
一か所だけ違う中身を、それぞれの容疑筋へ。
雑にやれば、向こうの監視役が先に気づく。
丁寧にやれば、向こうの几帳面さがそのまま罠になる。
最初に引っかかったのは、兵站局の倉庫係だった。
次に宮廷書庫の補佐官。
どちらも、偽情報の中身どおりの時刻に、偽情報の中身どおりの場所を覗きに来た。
言い逃れの余地がないほど、行動が紙と一致している。
さらに驚いたのは、王城内の給仕頭まで青鷹へ情報を流していたことだ。
給仕頭は、湊が初めて登城した日から茶を運んでいた男だった。
人当たりがよく、仕事も丁寧で、誰の記憶にも残らない。
完璧な配置だと、感心すらしてしまう。
会議の中身は漏れなくても、誰と誰が同じ部屋で会ったかは、茶の数で分かるのだ。
「思ったより深い」
リゼリアの顔が固くなる。
「深いけど、浅いところから崩れる」
湊は言った。
「網って、全部を同時に引くより、荷重が偏ってる継ぎ目を切る方が早い」
リゼリアは押さえる順番を三度問い直し、それから許可を出した。
「ただし、握り潰しません。全員、正規の手続きで裁きます」
「甘くないですか」
「甘さではありません。ここで横紙破りをすれば、わたくしたちも“もう一つの青鷹”になるだけです」
正論だった。
そして、この人が王女である理由でもあった。
通話板へ偽の非常招集を流した夜、宮廷西棟で三人の内通者が同時に動いた。
そこを王女派兵が押さえる。
さらに書庫では、差し替え用の帳簿束が見つかった。
本物そっくりの偽帳簿は、数字の辻褄まで合わせてある。
ただ、写字の手蹟に一つだけ癖が残っていた。
数字の七の跳ね方が、押収済みの偽通行証と同じだったのだ。
作り手まで、芋づるで繋がる。
「ここまで来ると、王城が青鷹の倉庫みたいだな」
カナンがうんざりした声を出す。
「在庫管理し直すか」
「笑えない」
それでも、王城の空気は一晩ごとに澄んでいった。
妙な噂の立ち消えが早くなる。
会議の中身が外へ漏れなくなる。
廊下のひそひそ声が減って、書類の動きが速くなる。
膿が抜けるというのは、こういう手触りらしい。
笑えないが、手応えはある。
これまで向こうが握っていた“見えない流れ”を、こちらが見えるものに変え始めているのだ。
深夜、最後の捕縛報告が届いたころ、宰相補佐ベルノルトが工房を訪ねてきた。
白髪混じりの穏やかな男で、表向きは中立を保つ古参官僚だ。
「見事ですな、ミナト殿」
彼は静かに言った。
「王城内の膿までここまで早く表へ出すとは」
「まだ途中です」
湊は答える。
「途中こそ恐ろしいものですよ」
ベルノルトは机上の回収資料へ、一瞬だけ視線を落とした。
捕縛者名簿ではなく、まだ未整理の帳簿束の方へ。
その言い方が少しだけ引っかかった。
だが今は、考える優先順位が違う。
ベルノルトは丁寧に辞去の礼をして、来た時と同じ静けさで廊下へ消えた。
足音が、ほとんどしない男だった。
それが古参官僚の嗜みなのか、別の何かの癖なのか。
判断する材料は、まだない。
情報網の逆利用は成功していた。
宮廷の中にまで潜んでいた青鷹は、次々に表へ引きずり出されている。
そして見えてきた先には、間違いなく金の流れがあった。
金は嘘をつかない。
人は信念でも動くが、組織は金でしか回らない。
ならば次に断つべきは、青鷹を養い続けている水源そのものだ。
湊は押収帳簿の山を見渡し、袖をまくり直した。
夜は、まだ長い。
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