第77話 王女の独占宣言
夜営から戻った翌日、湊は妙に落ち着かなかった。
カナンに言われたことが尾を引いている。
だが、そんな個人的な揺れを整理する暇もなく、リゼリアの公務同行が入った。
王都西区の新防壁視察。
貴族、役人、商会、兵の代表まで集まる大きな場だ。
帰還からの成果を、王都の有力者へまとめて見せる場でもある。
リゼリア陣営としては、ここで流れを固めたい。
当然、向こうの派閥にとっては、ここで水を差したい。
「顔色が変です」
出発前にリゼリアが言った。
「寝不足です」
「そういうことにしておきます」
にこやかなのに怖い。
何か察している気もするが、今は深掘りされたくなかった。
馬車の中でも、リゼリアは何も聞かなかった。
代わりに視察の式次第を三度も確認する。
この人なりの、踏み込まない優しさなのか。
それとも、聞くまでもなく分かっているのか。
どちらにしても、心臓に悪い。
視察自体は順調に進んだ。
防壁改修の成果は明確で、兵の導線も、退避路も、前より格段にましになっている。
ところが最後に、第二王子派の伯爵がわざとらしく笑った。
「しかし第三王女殿下も、ずいぶん一介の職人へ入れ込んでおられる」
場の空気がぴたりと止まる。
露骨だ。
だが、公の場でこういう言葉を投げるのが王都のいやらしさでもある。
しかも言葉の刃先は湊ではなく、リゼリアへ向いていた。
職人をどう扱うかではなく、王女の質を問う形にしてある。
こういう搦め手だけは、本当に手際がいい。
「辺境で多少成果を出したとはいえ、所詮は異邦の男。いつまで殿下のお傍へ」
続けようとした伯爵の言葉を、リゼリアが静かに切った。
「彼は、わたくしが召喚した人です」
声は大きくない。
それでも、全員が聞き逃せない温度だった。
湊は思い出していた。
王城の謁見で、兄王子相手に同じ構文を使った日のことを。
あのときは庇護だった。
今日は、たぶんそれだけじゃない。
同じ言葉の温度が、あの日とは違っている。
「そして、わたくしが必要としている人です」
伯爵が言葉を失う。
周囲の視線が一気に集まる。
リゼリアはさらに一歩、湊の隣へ来た。
「王都の防壁を直し、辺境の補給線を立て直し、兵と民の流れを戻したのは彼です。肩書きで価値が決まるとお思いなら、その認識を改めてください」
完全に独占宣言だった。
政治的には“人材の保護”で通る。
だが言い方が、どう聞いてもそれだけじゃない。
事実、彼女は一度も「王国にとって」と言わなかった。
わたくしが召喚した。
わたくしが必要としている。
主語を最後まで、自分から離さなかったのだ。
カナンが後ろで小さく舌打ちした気がした。
振り返らない。
振り返ったらたぶん危ない。
護衛の位置からは、表情は見えない。
見えないのに、視線の圧だけは正確に背中へ刺さっている。
伯爵は何とか体裁を保とうとしたが、もう遅い。
周囲の貴族たちは空気を読み、兵たちは露骨にこちら側へ傾いた目をしている。
今この場で、リゼリアは王女として、そして一人の女として、湊を自分の側に置くと宣言したのだ。
視察後、馬車へ戻る途中で湊はようやく口を開いた。
「あれ、かなり強かったですね」
「必要でしたので」
リゼリアは前を向いたまま答える。
「必要以上だった気もします」
その言葉に、彼女は少しだけ足を止めた。
「そう聞こえましたか」
「……まあ」
リゼリアはそれ以上何も言わない。
ただ、ほんの少しだけ口元が緩む。
その横顔に、追及の言葉は出てこなかった。
出したところで、勝てる気もしなかった。
公の場では王女が一歩前に立つ。
その構図が、また一つはっきりした。
そして湊は気づく。
この三角関係、もう誰も引く気がない。
問題は、誰も引かないことではなかった。
自分だけが、まだ答えを出す場所へ立っていないことだ。
リゼリアの言葉は、王女としての保護であり、同時にそれ以上でもあった。
カナンの言葉は、相棒としての信頼であり、やはりそれだけではなかった。
どちらも冗談にして逃げられない。
けれど今ここで選べるほど、自分はこの国で何かを背負えているのか。
偽恋人の契約、護衛との距離、王国を直す仕事。
全部が絡まりすぎている。
それでも、と思う。
カナンの言葉から逃げず、リゼリアの言葉から逃げず、それでいて仕事の手も止めない。
そんな器用な道があるのかは分からない。
ないなら、いつかどこかで、自分の番が来る。
言葉にして、誰かの前に立つ番が。
湊は馬車の窓に映る自分の顔を見た。
「……保留って、ずるいよな」
小さく呟いた声は、車輪の音に紛れた。
でも、逃げている自覚だけは残った。
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