第61話 辺境伯領の再起
国境砦を奪い返した翌朝、湊たちはそのまま北東一帯を治める辺境伯領へ入った。
山裾に広がる町は、王都から遠いだけでなく、長く搾り取られてきた疲れがそのまま形になったような場所だった。
石畳は割れ、荷車の車輪跡は深く沈み、穀倉の壁には補修しきれないひびが走っている。
市場の軒先は半分以上閉まっていて、通りに立つ兵士の槍も曲がっていた。
「想像してたより酷いな」
カナンが低く言う。
「でも、だからいい」
湊は町並みを見回した。
「ここで立て直せたら、他でもやれる」
迎えに出てきたのは、辺境伯アルヴェインだった。
五十を越えた大柄な男で、片頬に古傷がある。歴戦の武人らしい体つきだが、目の下の隈が領地の現実を物語っていた。
「姫殿下から文は受け取った」
アルヴェインは湊を値踏みするように見た。
「国境砦を取り返した功は認める。だが、領地を丸ごと工房扱いされても困る」
「工房扱いはしません」
湊は即答した。
「生活の流れを直します。水、倉、道、兵、帳簿。その順で」
「順まで決めているのか」
「順がないと、直した端から腐るので」
アルヴェインは数秒黙ったあと、ふっと鼻で笑った。
「姫殿下が気に入るわけだ」
城館の会議室へ通され、湊は大きな板に領地図を広げた。
昨夜までの戦いで使った祖父の写し図に、現地で見た情報を書き足していく。
「まず三十日で、砦からこの町までの補給線を安定させる。次に、南畑の水路を再生。穀倉は扉と床を直して乾燥庫を併設。兵装は規格を揃えて修理前提に変える」
「三十日だと?」
文官の一人が顔をしかめた。
「そんな短期で領地が変わるはずが」
「全部は変わりません」
湊は地図の一点を指で叩く。
「でも、変わり始めるには十分です。人って、昨日より今日がましだと分かった瞬間に動くから」
カナンが壁際で腕を組んだまま笑う。
「こいつ、道具より人の動きの方が最近よく見えてるぞ」
「お前に言われると複雑だな」
会議の終わり際、伝令が飛び込んできた。
第三王女リゼリアの封印付き命令書。
内容は簡潔だった。
『辺境伯領を暫定再建特区とし、工務・兵站・穀倉の三権限を一時統合する』
文官たちがざわつく。
王都でこれを通すのがどれだけ強引か、湊にも分かった。
「姫殿下、本気だな」
アルヴェインが低く言う。
「だったら、こっちも応えます」
湊は地図を巻いた。
「辺境伯領を、ルーメリアで一番“直る場所”にしましょう」
昼には、町外れの空き倉庫が即席の工房へ変わっていた。
机を並べ、工具を広げ、標準図を壁に貼る。
兵士も職人も農夫も、半信半疑の顔でそれを見ていた。
湊はその全員へ向き直る。
「奇跡はやりません」
最初にそう言った。
「壊れてる流れを、ちゃんと繋ぎ直します。だから協力してください」
誰もすぐには返事をしない。
でも、国境砦を取り返した知らせが先に届いていたのだろう。
完全な拒絶ではなかった。
アルヴェインが一歩前へ出る。
「聞いたな。辺境伯領は今日から立て直す。王都に見捨てられたまま終わる気のある者は帰れ。ない者は、この職人に付き合え」
その言葉で、最初に動いたのは老いた水路番だった。
次に若い鍛冶屋。
それから兵士たち。
小さな動きだった。
だが湊には、それが砦を奪い返した時と同じくらい大きく見えた。
反撃は、戦場だけで始まるものじゃない。
国の片隅で「まだやれる」と人が思い出すところから始まる。
辺境伯領の再起は、そうして静かに動き出した。
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