第60話 国境砦、奪還
帰還は夜明け前に決めた。
蔵の扉へ持ち込む荷は最小限。
だが、最小限の中身は濃い。
祖父の工具箱。
再建パッケージの基準図。
携帯結界具の初期ロット。
量産槍の標準部品。
ろ過筒試作。
脚部補助具とカナン用の改修大剣。
扉が開く。
今度の光は、前より安定していた。
「行くぞ」
「ああ」
一歩踏み出す。
冷気、浮遊感、境界の振動。
次に足が着いたのは、王城地下ではなかった。
古い石室。
あの退避路の先、ルーメリア側の放棄倉庫だ。
ここを経由すれば、王都へ直接戻らずとも外縁へ出られる。
待っていたのはカナンの旧知の辺境兵三人と、痩せた伝令兵だった。
「姫様から」
伝令兵が膝をつく。
「北東の国境砦が、ガルド派私兵に占拠されました。補給線の要所です」
地図を広げるまでもない。
そこは王都へ戻る前に押さえるべき場所だった。
「取る」
湊が言う。
「即答か」
カナンが笑う。
「補給線の喉元でしょ。ここ押さえたら反撃の狼煙になる」
国境砦は大きくない。
だが山道と街道の分岐を押さえている。
平時にはただの中継拠点でも、今は地方と王都を繋ぐ喉だ。
しかも運がいいことに、湊はその構造を知っていた。
祖父の図面束の中に、砦の原型設計が残っていたからだ。
「正門からは行かない」
砦の簡略図を地面へ描く。
「ここの排水路、今は塞がれてるように見えるけど、基礎空間に繋がってる。あと、西壁の見張り台は増築で、古い壁体と噛み合いが甘い」
辺境兵たちが息を呑む。
「本当に見えるんだな」
「見えるし、壊し方も分かる」
作戦は単純だった。
正門へ少数で騒ぎを起こし、視線を集める。
その間に湊とカナンが排水路側から侵入し、西壁の増築部を逆利用して内部の格子門を落とす。
携帯結界具を配り、量産槍の試作部品もその場で組み替える。
辺境兵たちの顔が少しずつ変わっていった。
半信半疑から、“いけるかもしれない”へ。
夜。
山風の音に紛れて、最初の合図が上がる。
正門側で小さな発火。
私兵の怒号が集まる。
その隙に、湊たちは排水路へ滑り込んだ。
「臭いな」
「戦場で臭い気にするな」
「気にはするでしょ」
そんな小声を交わしながら、狭い石路を進む。
図面通りなら、次の隔壁の裏に空洞がある。
実際に行くと、あった。
「やっぱり」
古い格子の留め金へ手を当てる。
増築時に雑に継いだせいで、負荷の逃げが一点に寄っていた。
そこへ現代で組んだ補助楔を噛ませ、軽くひねる。
がこん、と鈍い音。
格子が落ちる。
「行け!」
カナンが先に飛び出した。
改修大剣が、暗がりで短く青を引く。
一撃目で槍を折り、二撃目でもう一人を壁へ叩きつける。
返しが、前より速い。
「効いてる」
と湊が呟く。
「当たり前だ!」
内側の門が開いた瞬間、外で待機していた辺境兵が雪崩れ込む。
私兵たちは正門側の騒ぎへ引っぱられていて、内部対応が遅れた。
しかも西壁の見張り台は、湊が事前に読んだ通り、増築部分の足場が脆い。
追ってきた二人が踏み外し、そのまま転げ落ちた。
「砦を知らない方が負けるんだよ」
最上段へ駆け上がり、中央信号火台の構造を見る。
ここも改造されていたが雑だ。
逆に扱いやすい。
湊は携帯結界具を火台の支柱へ打ち込み、砦内の短距離信号だけを通す形へ組み替える。
次の瞬間、辺境側へ向けた青い反撃灯が夜空へ上がった。
「上げたぞ!」
辺境兵たちの歓声が弾ける。
私兵側の統率はそこで切れた。
補給路を押さえていたつもりが、自分たちの退路の方を切られたからだ。
戦いそのものは長くなかった。
三十分もせず、砦の主導権は完全にこちらへ戻る。
夜明け。
山の向こうから薄い光が差し始めるころ、国境砦の上にはルーメリアの旗がもう一度上がっていた。
湊は石壁にもたれ、ようやく大きく息を吐く。
肩も腕も重い。
でも、今の疲れ方は嫌じゃない。
「戻ってきたな」
カナンが隣に立つ。
「うん」
「しかも勝った」
「一勝目」
辺境兵の一人が駆け寄ってくる。
目を輝かせたままだ。
「殿下へ伝令を飛ばします! 国境砦、奪還と!」
その言葉を聞いて、ようやく実感が湧いた。
負けたまま戻ってきたんじゃない。
勝ち筋を持って戻ってきて、その最初の形をもう作ったのだ。
遠くで朝日が砦の石を染める。
その上で、青い反撃灯の残光だけがまだ細く揺れていた。
ルーメリアの反攻は、ここから始まる。
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