第5話 蔵の扉
通知音は一度きりではなかった。
ピコン、と軽い電子音が鳴るたびに、蔵の方の空気が微かに震える。
「……いやいやいや」
湊はサンダルのまま庭へ出た。
夜気は冷えているのに、背中だけじっとりと汗ばんでいる。離れの工房の奥、そのさらに先にある古い土蔵は、子どものころから勝手に入るなと言われていた場所だ。祖父が亡くなってからも、まだ中を本格的には見ていない。
白い漆喰壁に、黒ずんだ木の扉。
古びた見た目のわりに、鍵は最近まで使われていたみたいに油が回っていた。
スマホの画面を見る。
リゼリアからの新着はない。
代わりにアプリ全体がゆっくり脈打つように光っていた。
『接続点を確認してください』
今までになかった機械的な文言が表示される。
「接続点ってどこだよ……」
そう呟きながら扉へ手をかけた瞬間、指先にびりっとした痺れが走った。
思わず手を離す。木の表面に目を凝らすと、ただの木目だと思っていた筋の一部が、淡い光を帯びて浮かび上がっていた。
円。
直線。
絡み合う細い線。
スマホのアイコンと、同じ紋だ。
湊は息を呑んだ。
ありえない、で済ませられる段階をとっくに越えている。
工房から懐中電灯を持ち出して照らしてみると、紋様は扉だけでなく、周囲の柱や敷居にも続いていた。普段は目立たないように、木材の節や傷へ紛れ込ませて刻まれている。職人の仕事として見ても、異様なくらい緻密だった。
「じいちゃん、これ……何を作ってたんだよ」
返事はない。
あるのは、画面に浮かぶ次の表示だけだ。
『扉に触れてください』
もう何を信じればいいのか分からない。
だが、ここで手を引いたら、一生後悔する気がした。
湊は唾を飲み込み、左手にスマホ、右手を蔵の扉へ伸ばした。
触れた瞬間、紋様が走った。
木の内部に埋まっていた光が一気に線を伝い、扉全体を薄金色に染める。足元の土がかすかに震え、古い蝶番が重々しい音もなく熱を帯びた。
同時に、アプリの画面へ新しいメッセージが飛び込んでくる。
『見えました』
『よかった……本当に繋がっています』
『今、何が起きてるんですか』
『蔵の扉は、境界の門です』
『源蔵殿が遺した接続点が、あなたに反応しています』
境界の門。
言葉だけ聞けば完全にファンタジーだ。
だが、目の前で木の扉が発光している以上、今さら突っ込む余地はない。
湊は扉を押してみた。
が、びくともしない。
代わりに内側から、低く唸るような音がした。
蔵の中へ回り込めるかと思ったが、その必要はなかった。
扉の中央、ちょうど目の高さのところへ、今までなかった縦の裂け目みたいな光が走ったのだ。
冷たい風が吹き出してくる。
蔵の中の空気ではない。石と水と、知らない匂いを含んだ風だった。
そのとき、初めてリゼリアから長文のメッセージが届いた。
『もう時間がありません』
『地下封印室の術式を起動します』
『あなたがもし源蔵殿の血を継ぐ方なら、こちらへ来られるはずです』
現実感が、また一段薄くなる。
湊は乾いた喉を押さえた。
『行ったら、戻れますか』
返事は、ほんの少し遅れた。
『分かりません』
正直すぎて笑えた。
最悪の答えなのに、そこで変に希望だけを見せられるよりはましだった。
直後、蔵の奥から、今度は電子音ではない音が聞こえた。
少女の、切羽詰まった声。
『お願い……来て』
扉の裂け目が、まるで呼吸をするみたいに大きく脈打った。
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