第4話 助けて
時間がない。
その一文を見てから、湊は仕事どころではなくなった。
午前中に入っていた展示ケースの補修依頼を片づけながらも、頭の半分はずっとリゼリアとの会話に引っぱられていた。木枠の歪みを直し、ガラス固定具を交換し、請求書を送る。指先はいつも通りに動くのに、思考だけが現実から半歩ずれている。
昼休み、車の中でスマホを開く。
リゼリアから新しいメッセージが届いていた。
『先ほどは曖昧なことしか言えず、失礼しました』
『わたくしのいるルーメリア王国は、いま大きく傾いています』
『城の中に、敵がいます』
『敵って、戦争とかですか』
『それもあります。けれど、もっと厄介なのは、味方の顔をしている者たちです』
王女の台詞としては生々しすぎた。
湊はシートに背を預け、空を見上げた。晴れている。日本の、ごく普通の昼だ。コンビニの駐車場では、サラリーマンが弁当を買って戻っていく。
なのに自分だけ、異世界の政争相談に巻き込まれている。
『俺に何ができるんですか』
そう送ると、返事はすぐに来た。
『源蔵殿の記録には、境界を越える工匠の血は、工式を視るとありました』
『王都結界も、水利盤も、転移炉も、いま限界に近いのです』
知らない単語が並ぶ。
だが、「視る」「限界」という言葉だけで、相手が必要としているのは兵士ではなく職人なのだと分かる。
『それ、俺の祖父が書いたんですか』
『はい』
『じいちゃん、何者だったんだ……』
ぽつりと漏れた本音に、少しだけ遅れて返事がくる。
『わたくしも、それを知りたいと思っています』
妙に正直な返しだった。
取りつくろう余裕がないのだろう。王女という肩書きのわりに、リゼリアの言葉には飾りが少なかった。
仕事を終えて帰宅したあとも、やり取りは続いた。
湊は試すようにいくつか質問を投げた。今いる部屋の様子。王城の窓から見えるもの。いまの時刻。王都の天気。
返ってくる答えは具体的で、ぶれがなく、ときどきこちらの常識と食い違っていた。
『今日は東塔の鐘が二つ遅れました』
『王都の南門前で炊き出しが行われています』
『夕刻なのに西の空が赤すぎて、不吉だと侍女たちが言っています』
誰かのなりきりにしては、積み方が異常に上手い。
そして何より、湊が思いつきで送った質問に対する反応が自然すぎた。
『月は何個ありますか』
半ばやけで送った問いに、返事は一呼吸で返ってきた。
『大きい月が一つ、小さい光輪が一つです』
『……あなたの世界には、違う空があるのですね』
ぞくり、と背筋が冷えた。
そのとき初めて、湊は本気で考えた。
もしかしたら、これは本当に“向こう側”から来ているのではないか、と。
夜の十時を過ぎたころだった。
会話の流れが急に途切れ、短い文章が続けざまに届く。
『見つかったかもしれません』
『地下へ移ります』
『すみません、時間が――』
そこで一度、メッセージは止まった。
沈黙が、妙に長い。
湊は気づけば立ち上がっていた。理由は分からない。ただ、何もしないまま待っているのがひどく落ち着かなかった。
そして、数分後。
ようやく届いた新着メッセージは、たった四文字だった。
『助けて』
その瞬間。
家の外、離れの蔵の方から、スマホと同じ通知音が鳴った。
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