第46話 それでも信じる人
王都外縁の監督所は、昔の街道工事を管理するために建てられた小さな石造りの建物だった。
町外れにぽつんとあり、表向きは十分に“隔離先”らしい。
けれど中へ入ると、最低限の寝台、机、湯、食糧が揃っていた。
リゼリアが手を回したのだと、見なくても分かる。
「隠す気ないな」
と湊。
「姫様は隠すの下手だからな」
カナンが返す。
「お前が言う?」
「私はもっと下手だ」
そこは誇るところじゃない。
監督所に付く護衛は、表向きには王都側の兵が二人。
だが日が落ちる頃になると、別にもう二人、見覚えのある顔がやって来た。
地方視察で一緒に走った若い兵士と、南穀倉の職員だ。
「殿下からではありません」
と兵士はわざわざ前置きした。
「俺たちが勝手に来ただけです」
「いや、それ絶対半分は殿下経由でしょ」
二人は気まずそうに黙る。
図星らしい。
それでも、その不器用さがありがたかった。
夜更け。
監督所の裏手で、カナンが焚き火の番をしていると、暗がりから足音がした。
彼女は立ち上がりかけ、すぐ止まる。
「遅い」
現れたのは、深い外套を被ったリゼリアだった。
「無茶するなあ」
と湊が呟く。
「今だけです」
王女は小さく答えた。
「今だけ、無茶をしに来ました」
監督所の裏には使われなくなった石の貯水槽があり、周囲からは死角になる。
そこへ三人だけが集まる。
照明石は使わない。
月明かりだけだ。
リゼリアは外套の内から小さな包みを取り出した。
「これを」
中に入っていたのは、王女の私印が入った小さな封筒と、薄い金属板だった。
「これは?」
「わたくし個人の通行印です。王都内で使うには弱いですが、地方の連絡所ならまだ利きます」
「私印なんか渡して大丈夫?」
「大丈夫ではありません」
迷いのない返事だった。
なのに渡してくるのだから、本気だ。
「あと、これは」
リゼリアは薄い金属板へ触れる。
「王城地下封印室の旧鍵板です。今は公的運用から外されていますが、源蔵殿の工房印と噛み合うはずだと」
湊はそれを受け取った。
冷たい。
だが、祖父の工具箱に入っていた銀杭と似た感触がある。
「つまり?」
「もし本当に王都から切り離されるなら、あなたは一度こちらから消えるしかない」
そこまで言って、リゼリアはわずかに目を伏せた。
「そのための道です」
言葉の意味は重い。
つまり彼女はもう、監督所に置いておけば終わるとは思っていない。
次が来ると見ている。
カナンが低く言う。
「今夜の見張り交代は、表も裏も私が組んだ。追手が来るなら明日だ」
「その言い方だと、来る前提だな」
「来る」
彼女は断言した。
「あいつら、ここで終わらせる気がない」
しばらく、誰も喋らなかった。
焚き火の音だけが小さく鳴る。
やがて、リゼリアが湊をまっすぐ見た。
昼間、門の上から見送ったときより、ずっと近い距離で。
「必ず迎えに行きます」
静かな声だった。
けれど、一度もぶれなかった。
「だから、信じて待っていてください」
喉が詰まる。
こんなときに軽口が出ないのは、たぶんまずい。
「……待つだけじゃなくて、こっちも考える」
ようやく出たのは、それだった。
「いい返事です」
とリゼリアは言う。
少しだけ、笑う。
その笑顔を見て、余計に胸の奥が痛くなった。
王女はもう戻らなければならない。
長居すれば、それだけ危険が増える。
立ち去る前、カナンが背を向けたまま言った。
「姫様、急げ」
「ええ」
リゼリアが一歩踏み出し、そこで一瞬だけ止まる。
それから振り返らずに言った。
「ミナト」
「うん」
「あなたを選んだことを、後悔していません」
返事をする前に、彼女は夜の中へ消えていった。
しばらくその場に立ち尽くしてから、湊は息を吐く。
「強いなあ」
「姫様は強い」
とカナン。
「だからこそ、今はお前が弱るな」
珍しく、まっすぐな言い方だった。
焚き火の向こうで、カナンが一本の短剣を差し出す。
「護身用」
「俺、戦えないんだけど」
「知ってる。投げるな。脅しとロープ切り専用にしろ」
「使い方が限定的すぎる」
「贅沢言うな」
その不器用な優しさに、今夜だけは素直に救われた。
王都から切り離されても、全部が切れたわけじゃない。
そう思える人が、まだいる。
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