第38話 消えた軍糧
ベルク商会の帳簿を持ち帰った翌朝、先に届いたのは軍糧の報告ではなかった。
北兵装庫からの短い急報だった。
改修槍、三本破損。
王都外縁の小競り合いで、一名負傷。
「……折れた?」
現物として届いた柄の断面を見た瞬間、湊は言葉を失った。
鋼の粘りと、柄木の乾き。
原因の輪郭だけは分かる。
自分は、この国の素材と実戦での押し合いを、まだ読み切っていなかった。
付き添いの若い兵士は、肩の包帯を押さえながら首を振った。
「前の槍なら、一本目で列が崩れていました。あの槍だったから、押し返せました。折れたのは、そのあとです」
責められない方が、きつい。
リゼリアはすぐ、使用報告の回収と追加配備の一時停止を命じた。
湊は折れ柄を机の端へ置く。
今すぐ向き合うべき失敗だ。
だが、目の前にはもう一つ、放っておけば兵の腹を空かせる穴が開いていた。
ベルク商会の二重帳簿を読み解く中で、湊の指が止まった項目があった。
王都防衛軍向け軍糧。
数量は出ている。
搬出記録もある。
だが、受領量だけが毎回わずかに減っていた。
しかも減り方が、自然損耗と呼ぶには不自然に一定だ。
「これ、軍糧抜かれてる」
リゼリアが顔を上げる。
「確かですか」
「たぶんじゃなくて、かなり」
その日の午後、三人は王都防衛軍の倉庫へ向かった。
中で積まれていた穀袋は、一見すると普通だ。
だが近づいた瞬間、湊は顔をしかめる。
「……質、落ちてる」
袋を押すと、中身の詰まり方が甘い。
口の縫い方も粗い。
しかも織り布の目が、王都南穀倉で使っていた標準品と違っていた。
「袋で分かるのか」
カナンが言う。
「袋で分かる」
湊は縫い目を指でなぞる。
「こっちは東側の織機っぽい。王都の備蓄用じゃなくて、急造の安物。元の軍糧をどこかで抜いて、粗悪品に入れ替えてる」
倉庫番の兵が青ざめた。
「そんな、我々は受領したものをそのまま」
「責めてない。どこで替わったかを見る」
帳簿の搬出時刻、関所記録、荷車隊の休憩地点を並べる。
湊はその中から一つの中継倉を指した。
「ここだ」
早すぎる答えに、湊自身が少し眉をひそめた。
帳簿の線はそう読める。
だが、昨日の帳簿も綺麗すぎた。
「罠の可能性は?」
リゼリアが問う。
「ある。でも、軍糧が抜かれてるのは本当だと思う。放っておく方がまずい」
王都南外れの中継倉庫。
正規輸送では必ず一晩荷が置かれる場所だ。
その夜、三人は罠を張った。
表向きは通常の軍糧輸送。
だが積んであるのは、印だけ本物に寄せ、中身を安穀で目方だけ揃えた囮袋だ。
帳簿上では、高価な穀物として通してある。
さらに袋の口には、湊が細い真鍮片でごく小さな癖をつけておいた。
一度でも開ければ、すぐ分かる。
「職人って、そういう陰湿なことも得意なんだな」
とカナン。
「褒めてる?」
「半分」
深夜。
中継倉へ入った荷車のそばで、灯りが一つ、二つ動く。
積荷係の恰好をした男たちが、慣れた手つきで袋を入れ替え始めた。
見張りには、倉庫番だけでなく防衛軍の下士官まで混じっている。
「うわ」
湊が小さく呟く。
「思ったより内側だった」
「行くぞ」
カナンが動いた。
次の瞬間、倉庫の梁から飛び降り、見張りの槍を蹴り上げる。
男たちが慌てて散ったが遅い。
扉の外では、リゼリアが事前に手配していた王女派兵が待機していた。
「動かないでください!」
王女直属の兵が倉庫を包囲する。
逃げ出そうとした下士官の足元へ、カナンの投げた短剣が突き刺さった。
寸分の違いもない制止だ。
男たちはその場で崩れた。
湊はすぐ袋へ駆け寄る。
口をほどくと、案の定、中身は帳簿上の等級よりひどく落ちる。
さらに脇には、本来納められるはずだった良質の軍糧袋が別荷として積み分けられていた。
「目の前の証拠は、そろった」
リゼリアが倉庫へ入ってくる。
普段の静かな表情のまま、声だけが冷たい。
「誰の指示ですか」
下士官は震えながら首を振る。
「し、知らねえ……俺は受け渡し役で……」
「その割に、軍の印章まで預かっていたようですが」
王女直属兵が押収した封筒を差し出す。
中には中継許可証と、別倉庫への移送指示が入っていた。
湊は封の紙質を見た。
ベルク商会の裏帳簿に挟まっていた控えと、ほぼ同じ。
「商会と軍で線がつながってる」
男はついに膝をついた。
「俺たちは言われた通りにしただけだ! 上に逆らえねえんだよ!」
翌朝、下士官と倉庫番は王都防衛軍の詰所前へ引き出された。
袋印、受領帳、移送許可証。
抜いた軍糧の数を、自分たちの口で一つずつ読み上げさせられる。
最後まで強がっていた下士官も、自分の管理印が押された袋に、湊が仕込んだ真鍮の癖がそのまま残っていると知った瞬間、膝から崩れ落ちた。
「俺だけじゃねえ! 俺だけじゃ――」
喚く声に、かばう兵は一人もいなかった。
軍糧を抜いた人間が、兵たちの視線の中でみっともなく泣き崩れる。
それだけで、現場には十分すぎる報いだった。
湊が訊いた。
「上って、誰だ」
問いかけた瞬間、男の口が止まる。
怯え方が一段深くなった。
「……青鷹が、黙っちゃいねえ」
その名が、倉庫の空気をさらに重くした。
リゼリアとカナンが顔を見合わせる。
帳簿、偽通行証、密輸印、軍糧横流し。
全部が一つの名へ寄り始めていた。
青鷹。
もはや噂では済まない。
王都の中に、そう呼ばれる何かがいる。
勝ったはずだった。
だが湊には、どこかで丁寧に勝たされているような感触が残った。
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