第25話 一晩でできた防柵
元兵士たちを再雇用する話がまとまったその日の夕方、一行は小さな集落へ泊まる予定だった。
だが、村へ近づくなり、空気の緊張が違うと分かった。
日がまだ落ちきっていないのに、家々の戸が閉まり、人の姿が少ない。外にいた子どもは、湊たちの馬車を見るなり大人に引き戻された。
村長が出迎えに来る。
その顔は疲れ果てていた。
「殿下、今夜はどうか建物の中へ。最近、夜になると森から牙猪が下りてきまして」
「魔獣?」
カナンが眉を寄せる。
「完全な魔獣ではありませんが、群れで来ると厄介です」
案内された村の周囲には、簡単な柵しかなかった。
しかも隙間だらけだ。これでは止めるより気休めに近い。
「毎晩来るの?」
湊が訊く。
「ここ四日ほど」
「被害は?」
「畑と家畜、それから……一人、怪我人が」
夕闇の中、村人たちの顔は完全に怯えていた。
田畑を取り戻しかけたところへ夜の被害が重なれば、心が先に折れる。
湊は村の周囲を一周した。
地形を見る。低い場所、狭い道、荷車が置かれたままの空き地、解体途中の納屋。
「一晩だけなら、形にできる」
「本気か」
カナンが言う。
「荷車と廃材、全部使う。固定じゃなく組み替え式」
リゼリアがすぐ動いた。
「村の者を集めてください。使える木材と縄、空の荷車も全て」
村人たちは最初、半信半疑だった。
だが、湊が地面へ棒で図を描き始めると、少しずつ集まってくる。
「ここに荷車を横倒しで並べる。車輪は外さない」
「外さないのか?」
村の男が聞く。
「外すと明日困る。使い回せるようにする」
荷車を横倒しにし、車輪同士を縄で固定し、その隙間へ廃材板を差し込む。さらに前面に斜めの突き棒を渡せば、突進を横へ逸らせる即席防柵になる。
「ポイントは止めることじゃなく、流すこと」
「流す?」
「牙猪って一直線に来るんでしょ。なら、ぶつけて正面で受けるより、勢いを横へ逃がした方がいい」
村人たちはまだ完全には理解していない顔だったが、手は動かし始めた。
手を動かせば、恐怖は少しだけ薄れる。
カナンは杭を地面へ打ち込み、ほとんど一人で作業速度を引き上げる。
元兵士たちも加わり、手際よく荷車を配置していく。リゼリアは松明の手配と人員の割り振りをこなし、怪我人へ休憩を命じた。
「王女様、そこまでやる?」
湊が訊く。
「やるから来たのです」
返答がぶれない。
夜が完全に落ちる頃には、村の入口と森側の侵入路に、分解式の防柵列ができていた。
見た目は急ごしらえだ。だが、線としては悪くない。
「あとは実地テストか」
縁起でもないことを言った直後、森の奥から低い唸り声が聞こえた。
来た。
村人たちが息を呑む。
松明の灯りの向こう、泥を蹴って三頭、四頭と牙猪が突っ込んでくる。
「持ち場!」
カナンが叫ぶ。
最初の一頭が防柵へ激突した。
だが、真正面で止まらない。
斜めに渡した突き棒と荷車の角度が衝撃を横へ流し、獣体は弾かれるように逸れる。続いた二頭目も似たように流れ、待ち構えていた元兵士たちが横から槍で威嚇した。
完全撃破ではない。
だが、村へ入らせないには十分だった。
数度の突進のあと、群れは森へ引き返した。
静寂。
そして次の瞬間、村に歓声が上がる。
「防いだ!」
「入ってこなかった!」
子どもたちが戸口から顔を出し、目を丸くして防柵を見る。
夜明け前、緊張が解けたころには、その場で座り込んで泣く大人までいた。
翌朝。
朝日に照らされた即席防柵は、見た目こそ無骨だが、村をぐるりと囲む頼もしい壁に見えた。
子どもが一人、そっと近づき、荷車の板を叩く。
「すごい……」
それをきっかけに、村中の子どもたちが駆け寄った。
「これ、ほんとに一晩で作ったの?」
「うちの村にもできる?」
「壊してもまた使える?」
湊は笑って答える。
「できる。ちゃんと手順残せば、他の村でも作れる」
リゼリアはそのやり取りを見て、静かに呟く。
「……こういう顔、王城ではあまり見ません」
湊は頷いた。
「王女様が見たかったの、こういうのじゃない?」
リゼリアは返事の代わりに、村を見回した。
怯えの強かった空気が、今は少しだけ前を向いている。
王都から遠い、名も知られない小さな村で。
それでも国は、こういう場所から立ち直っていくのだと、誰の目にも分かる朝だった。
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