第23話 枯れ村の用水路
関所を抜けた先のロド村は、地図の上では川沿いの小さな農村だった。
実際に着いてみると、そこにあったのは、乾いた畑と重たい沈黙だった。
畝はひび割れ、畑の土は白く粉を吹いている。井戸の水位は低く、村人たちの顔からはすでに“助けが来るかもしれない”という期待そのものが消えていた。
「用水路が死んでいます」
リゼリアが低く言う。
村長が苦い顔で頷く。
「春先の崩れから、どうにもならず……」
案内されて見た用水路は、想像以上に悪かった。
単に崩れただけではない。途中から傾斜がずれ、水が途中で溜まり、さらに先へ流れないようになっている。応急で土を盛った跡があるせいで、余計に流れが死んでいた。
「これ、崩落そのものより、その後の直し方がまずい」
「やはりか」
カナンが腕を組む。
「うん。水って、止めるのは簡単だけど流すの難しいから」
湊は靴を脱いで、水の残る部分へ下りた。
冷たい泥が足首まで沈む。
リゼリアも迷わず裾を持ち上げて続こうとしたが、カナンに止められる。
「姫様は上にいろ」
「現場を見るのです」
「転べば終わる」
二人が軽く睨み合う横で、湊は測量紐を張って高さを見ていく。
少しずつ答えが見えてきた。
流れが死んでいるのは、途中の一か所だけじゃない。崩落を恐れてあちこちを継ぎ足し、結果として全体の傾斜が狂っているのだ。
「直せるか」
リゼリアが問う。
「一日じゃ本工事は無理。でも、流すだけなら今夜いける」
「本当に?」
「村の人手借りる。石と土嚢、木板も。あと、夜通し」
村長は半信半疑だったが、背に腹は代えられないのだろう。
すぐに人を集めてくれた。
その日のロド村は、久しぶりに人の声が大きく響いた。
湊は水路を三つの区間へ分け、一番高い位置の土盛りを崩し、逆に流れが散っていた箇所へ仮板を打ち込んで導線を作る。難しいのは立派なものを作ることではなく、今ある材料で“水が走る線”を通すことだ。
「そこ、土を詰めすぎない! 水逃げるから」
「こっちの板、あと半尺下!」
「石は重ねるな、噛ませろ!」
村の男衆も、最初は戸惑いながら従っていた。
だが、作業が進み、水が少しずつ動き出すと、顔つきが変わる。
リゼリアは村の女たちと一緒に土嚢を運びながら、子どもたちの様子を聞いていた。
カナンは重石の石を一人で持ち上げ、半ば人外じみた力で作業速度を引き上げている。
「S級冒険者、こういう使い方で合ってる?」
湊が聞く。
「たぶん間違ってる」
カナンが真顔で答えた。
日が落ちる頃には、皆泥だらけになっていた。
けれど、不思議と絶望の空気は薄れている。
人は手を動かしている間、少しだけ未来を信じられる。
最後に残ったのは、一番奥の詰まりだ。
湊は崩れた石をどかし、流路の角度を少しだけ切り直す。
「これで……」
静かに水を流す。
最初は頼りなく、細い筋だった。
だが数秒後、上流の水が新しい線を見つけたみたいに、するすると勢いを増していく。
そして――流れた。
止まっていた先の区画へ、水が走る。
乾いて白くなっていた溝が濡れ、さらにその先の畑脇まで水が届く。
「おお……」
村人の誰かが、声を漏らした。
その声は、次の瞬間には歓声へ変わる。
「流れた!」
「水だ!」
「畑へ行け!」
子どもが走り、大人が泣きながら笑う。
村長はその場に膝をつき、泥まみれの手で顔を覆った。
「……もう、今年は終わりだと思っていた」
リゼリアはその言葉を聞いて、何も言えなかった。
ただ、水の走る畑を見つめ、唇を噛む。
翌朝。
朝日を浴びた水路は、昨夜の奇跡が夢でないことを示していた。
畑の土はまだ痩せている。だが、水がある。それだけで農村の未来はまるで違う。
村人たちが広場に集まる。
誰からともなく、声が上がった。
「リゼリア殿下、ありがとうございます!」
それは最初、小さかった。
だが次第に重なり、村全体の声になる。
「殿下、ありがとう!」
「来てくださって、ありがとう!」
リゼリアは驚いた顔で立ち尽くし、やがて深く一礼した。
王都では礼儀として向けられる頭が多い。
けれど今ここで向けられているのは、もっと生の感謝だった。
馬車へ戻る途中、リゼリアは小さく言った。
「初めてかもしれません」
「何が?」
湊が聞く。
「王女としてではなく、わたくし自身へ声が届いた気がしたのは」
湊は少しだけ笑う。
「それ、王女様がちゃんと来たからだよ」
ロド村を出る頃には、視察はもう“人気取り”ではなかった。
少なくとも、そこにいた人たちにとっては。
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