第17話 舞踏会のエスコート
偽恋人契約の効き目は、驚くほど早かった。
翌々日に開かれる秋季舞踏会で、リゼリアは公の場に湊を伴うと宣言したのだ。
王宮中がざわついた。
「いや待って、そんな大舞台で初公開?」
衣装係に採寸されながら、湊は情けなく呻いた。
「最初が肝心です」
リゼリアは鏡越しに平然と言う。
「曖昧に出すと、余計に好き勝手書かれます」
「もう十分好き勝手書かれてる気がするけど」
「それはそうです」
開き直りが早い。
湊に用意された礼装は、黒を基調にした簡素な上着だった。王侯貴族のような過剰な刺繍はないが、仕立てはいい。客人でありながら王女の隣に立つ男として、浮きすぎず、埋もれすぎない絶妙なラインを狙ったらしい。
「これ考えた人、相当性格いいな」
「わたくしです」
「王女様、けっこう容赦ないね」
「必要なところにはあります」
準備の間、カナンは完全に付き添い兼監視役だった。
壁際で腕を組みながら、時々こちらを見ては鼻を鳴らす。
「転ぶなよ」
「踊らない予定なんだけど」
「予定で済まないのが王宮だ」
その忠告は正しかった。
夜。
大広間は、湊が現代で見てきたどの式典会場より豪奢だった。
高い天井から無数の照明石が吊られ、磨かれた床には光が溶けている。絹、宝石、香水、ワイン、笑い声。全てがきらびやかで、全てが作られた場だ。
その入口で、湊は一度だけ深呼吸した。
「逃げてもいい?」
「駄目です」
リゼリアが即答する。
「せめて三秒迷って」
「では、二秒だけ」
そう言いながら、彼女は自然な動作で湊へ手を差し出した。
白い手袋越しの細い指。
「エスコートを」
その一言で、湊の腹は決まった。
現代でイベント設営やセレモニー補助をしてきた経験が、こんなところで生きるとは思わなかった。姿勢を整え、歩幅を合わせ、視線を泳がせない。舞台に立つ側ではなく、支える側として覚えた動きが、そのまま礼法の代わりになる。
「……意外と様になっています」
隣でリゼリアが小さく言う。
「職業柄ね。人前で恥かかない立ち回りだけは覚える」
扉が開く。
「第三王女リゼリア・ルーメリア殿下、ご入場!」
視線が一斉に集まった。
湊は肌で分かった。
好奇、嘲り、値踏み、敵意。歓迎などほとんど混じっていない。
それでも、リゼリアは一歩も怯まなかった。
湊も合わせて前へ出る。
ひそひそ声が飛ぶ。
「あれが異邦人か」
「本当に男を連れてきたぞ」
「後援者、ではなく恋人だと?」
全部聞こえている。
聞こえているが、無視した。
大広間の中央まで進んだところで、数人の令嬢がわざとらしく扇を口元に当てて笑う。貴族の若者たちはあからさまに見下した目を向けてきた。
その中を、リゼリアは堂々と抜ける。
湊はその横で、彼女の手を離さなかった。
「緊張してますか」
リゼリアが囁く。
「してる」
「わたくしもです」
「王女でも?」
「王女だから、です」
その返答に、少しだけ肩の力が抜けた。
やがて音楽が変わり、最初の挨拶の時間になる。
ガルドが遠くからこちらを見ていた。笑ってはいるが、目は冷え切っている。
近くの貴族が、わざと聞こえる声で言った。
「どこの馬の骨かと思えば、職人風情とは」
湊はそちらを見た。
男は鼻で笑う。
「殿下も酔狂ですな。恋人役なら、もう少し飾り映えのする男をお選びになればよかった」
リゼリアが口を開く前に、湊が一歩出た。
「飾り映えで国が直るなら、たしかに俺はいらないですね」
一瞬、周囲の空気が止まる。
「ですが残念ながら、結界も穀倉も槍も、見た目じゃ直らないんで」
令息の笑みが引きつった。
周囲から小さな失笑が漏れる。
リゼリアは横で涼しい顔をしながら、ほんの少しだけ指先に力を込めた。
よくやった、という合図みたいだった。
その後の挨拶回りでも、湊は必要以上に卑屈にならなかった。
持ち上げもしないが、引きもしない。
その立ち方が、かえって周囲をざわつかせる。
舞踏会の終盤、ついにガルドが近づいてきた。
「なかなか堂に入っているじゃないか、異邦人」
「ありがとうございます」
「妹の隣に立つのは重荷ではないか?」
「軽くはないですね」
「ほう」
「でも、似合わないとは思ってません」
その返答に、ガルドの笑みがわずかに細くなる。
リゼリアは何も言わず、ただ湊の腕に自分の手を重ねた。
公の場でのその仕草は、何より強い宣言だった。
舞踏会が終わる頃には、宮廷中の認識は書き換わっていた。
異邦人の職人。
王女が連れ込んだよく分からない男。
その曖昧な存在は、今夜を境に、第三王女の隣へ立つ男として刻まれたのだ。
廊下へ出たあと、湊はようやく息を吐いた。
「寿命縮んだ」
「よく耐えました」
「王女様、たまに褒め方が上司」
カナンが横から鼻を鳴らす。
「あれで転ばなかっただけ上出来だ」
「評価基準低くない?」
だが彼女の口元も、ほんの少しだけ緩んでいた。
その晩、王都の貴族たちは皆同じ噂を口にした。
第三王女の隣には、見慣れぬ異邦人がいた。
そしてあの男は、少なくとも飾りではないらしい、と。
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