第16話 偽恋人契約
その夜、王城の空気は露骨だった。
工区と市場を歩いたことが、思った以上に効いたらしい。
湊が夕食へ呼ばれて広間へ向かうと、すでに数人の貴族が集まり、リゼリアを取り囲んでいた。顔には笑みを貼りつけているのに、声の温度だけが冷たい。
「殿下、最近はずいぶん活発にお動きだとか」
「ええ、国のためですから」
「ですが、王族のご行動には品位も必要かと」
「泥まみれの市場や工区を歩くのは、少々いかがなものか」
遠回しだが、要するに出しゃばるなと言っている。
リゼリアは一歩も引かなかった。
「泥がつく場所にこそ、国の金が流れています。見ずに済ませる方が無責任でしょう」
空気がぴりつく。
そこへ、さらに追い打ちをかけるようにガルドが現れた。
「そう尖るな、リゼリア」
甘い声だ。
だが、その甘さの裏にある意図を隠そうともしていない。
「皆、お前を案じているだけだ。第三王女ともなれば、そろそろ身を固める話も出る」
「お断りします」
「断るのは自由だが、国も自由に待ってはくれない」
周囲の貴族たちが頷く。
政略結婚の圧力だ。リゼリア個人の幸福ではなく、王族を札として扱うための話。
ガルドはわざとらしく湊へ視線を移した。
「それとも何か? 最近連れ歩いている異邦人に、よほど価値でも見出したか」
空気がざわつく。
湊は内心で舌打ちした。露骨すぎる挑発だ。
リゼリアの表情が固まる。
だが返答する前に、ガルドは周囲へ向けて続けた。
「王族の側に置くには、出自も後ろ盾も曖昧。せめて立場が明確なら話も別だが」
立場。
その一語で、周囲の視線が一斉に鋭くなる。
味方でも客人でもなく、あいまいな位置にいる男。
そこを突かれているのだ。
夕食の席はそのまま流れたが、広間を出たあと、リゼリアはすぐに湊とカナンを執務室へ呼び戻した。
扉が閉まるや否や、彼女は机へ手をついて息を吐く。
「想定より早い」
「婚約話?」
湊が訊く。
「ええ。兄上は、わたくしを国外の有力家門か、自派の侯爵家へ縛りつけたいのでしょう」
カナンが不機嫌そうに腕を組む。
「姫様が断り続ければ、次は“断れない空気”を作る」
「そうなる前に、立場を作る必要があります」
リゼリアは顔を上げた。
そして、少しだけ言いづらそうに口を開く。
「ミナト」
「はい」
「わたくしの……恋人ということに、なっていただけませんか」
沈黙。
湊は固まった。
カナンは露骨に目を見開いた。
「いや、待って」
「もちろん本当ではありません」
「そこは分かる」
「形式上です。王家が異世界より招いた特別な後援者であり、個人的にもわたくしが庇護する理由がある、と周囲へ示すための」
ものすごく理性的な説明なのに、内容だけが全然理性的じゃない。
湊は額を押さえた。
「つまり、政略結婚を避けるための盾に俺を使うってこと」
「はい」
「即答」
「今は遠慮している場合ではないので」
そこまで言われると逆に清々しい。
カナンがむすっとした顔で口を挟む。
「他にやり方はないのか」
「兄上は“曖昧な立場”を攻撃してきます。ならば明確にするしかありません」
「それが、恋人?」
「いちばん早くて、いちばん周囲が口を挟みにくい」
たしかに理屈は通っている。
王女が個人的に重んじる相手なら、客人以上の保護理由になる。政略結婚を急がせる圧力への牽制にもなる。
ただし、巻き込まれる側の胃には優しくない。
「俺、王宮恋愛マナーとかゼロだけど」
「そこは教えます」
「俺の意見、反映されてる?」
「いま訊いています」
「断ったら?」
リゼリアは一瞬だけ黙り、まっすぐ湊を見た。
「……その場合は、別の手を考えます」
口調は冷静だったが、その目の奥に滲んだ疲労と切迫が、湊には見えた。
本当は、別の手などろくにないのだろう。
祖父の工具箱を持ち、ここまで来て、いまさら自分だけ無関係ではいられない。
「条件がある」
リゼリアの目がわずかに開く。
「なんでしょう」
「偽とはいえ、国を守るための契約なら、俺にも国の中身をちゃんと見せてほしい。都合の悪い帳簿も、人も、現場も」
「……分かりました」
「あと、変な色恋営業はなるべく控えめで」
「善処します」
「それ、絶対しないって意味じゃないよね」
そこへ、カナンがぼそりと割り込む。
「どうせやるぞ、この姫様は」
「カナン」
「事実だろう」
初めて見る二人の遠慮のない応酬に、湊は少しだけ肩の力が抜けた。
リゼリアは机の引き出しから一枚の紙を取り出す。
「では、形式だけでも整えましょう」
差し出されたのは、王家の私的後援契約書だった。
内容は驚くほど実務的だ。
相沢湊を第三王女付特別技術顧問として遇すること。
第三王女の私人としての庇護対象とすること。
公的行事において同行を認めること。
最後の一文だけが少し違っていた。
『並びに、特別に親しい間柄であることを認める』
「便利な言い回しだなあ」
「王家の文章は、たいてい便利に曖昧です」
湊は苦笑し、紙へ署名した。
リゼリアも続けて名を書く。
その瞬間、二人の間に見えない線が一本引かれた気がした。
本物ではない。
だが、ただの冗談でもない。
「これで明日から、あなたはわたくしの恋人役です」
「急に言い方が直接的」
「慣れてください」
「慣れたくないなあ」
カナンは面白くなさそうに窓の外を見た。
けれど去り際、小さくこう言う。
「……もし姫様を泣かせたら、偽だろうが本気だろうが斬る」
「護衛の圧が強い」
「覚えておけ」
冗談には聞こえなかった。
執務室を出た瞬間、湊はどっと疲れが出て壁へ肩を預けた。
「おい」
差し出されたのは、小さな水差しだった。
カナンが無愛想な顔のまま持っている。
「倒れるな。無駄に前へ出るやつほど、こういう時に先に潰れる」
「……心配してくれてる?」
「護衛対象が一人増えただけだ」
そう言いながら、カナンは湊が水を飲み切るまで視線を外さなかった。
その夜、王城の一角で交わされたその契約は、翌日には宮廷中の噂になる。
そして、リゼリアの隣に立つ湊の立場を、一気に“面倒な客人”から“無視できない存在”へ変えていくのだった。
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