第15話 現場主義の第三王女
穀倉改修の翌朝、湊は珍しく朝寝を決め込もうとしていた。
異世界召喚からこっち、まともに休めた感じがしない。少しくらいは許されるだろう――と思ったのだが、部屋の扉が容赦なく叩かれた。
「起きろ」
カナンの声だった。
「王城って始業早くない?」
「姫様はもう一時間前から書類を片づけてる」
「やめよう、その情報で俺を刺すの」
半分寝ぼけたまま身支度を整え、廊下へ出ると、リゼリアはすでに外套姿で待っていた。今日は王女然としたドレスではなく、動きやすい濃紺の上着と簡素なスカートだ。
「視察に行きます」
「急だね」
「急がないと改善したものからまた腐るので」
理屈が正しすぎて反論できない。
向かった先は、王都南東の工区と市場だった。
城下へ出ると、石畳の状態ひとつでも城内と空気が違う。人の声、荷車の軋み、焼きたてのパンの匂い、下水と泥の臭い。生きた町だ。
リゼリアは護衛を最小限に絞り、歩く速度も早かった。
通りすがりの店主や職人に、気負いなく声をかける。
「先日の穀倉の件、困りごとは減りましたか」
「殿下、あれは助かりました。麦の保存がだいぶ――」
「石橋の継ぎ目、やはり緩んでますね。工務局へ伝えておきます」
「この前言ってた井戸の桶、どうなった?」
まるで、現場監督と町会長を足して二で割ったみたいな動き方だ。
湊は感心して横を歩く。
「王女って、普通こんなに顔覚えられてるもん?」
「普通の王女は、あまり泥の跳ねる場所まで来ません」
カナンがぼそりと言う。
リゼリアは聞こえているのに、否定しなかった。
工区では、石工たちが護岸の補修をしていた。
市場の裏手では、荷運び人夫が壊れた車輪に悪戦苦闘している。リゼリアは一つ一つ立ち止まり、話を聞き、必要ならその場でメモを取った。
「そこまで自分で見るんだ」
湊が言う。
「数字だけでは、嘘をつかれることがありますから」
「人には?」
「人にも嘘はあります。でも、現場にはもっと分かりやすい嘘が残ります」
真顔で言う辺り、この王女はかなり揉まれている。
途中、露店の揚げ菓子屋でリゼリアが足を止めた。
「一つください」
「姫様、それ食べるのか」
カナンが驚く。
「人が食べているものを知るのも仕事です」
「ただ好きなだけでは」
「それもあります」
湊は吹き出した。
渡された揚げ菓子は、素朴だがうまい。外はかりっと、中は少しもっちりしている。
「おいしい」
「でしょう?」
食べ物の話になると、リゼリアは少しだけ年相応に見えた。
だが、その空気は市場の外れで一変する。
痩せた女が、幼い子どもを連れて路地から出てきたのだ。
子どもの咳が止まらず、女は困った顔で頭を下げる。
「殿下、薬代が……」
リゼリアはしゃがみ込み、子どもの額へ手を当てる。
「いつから熱が?」
「昨日の夜からで」
「北街診療所の薬師へ、この印を見せてください」
胸元から小さな印章札を外し、女へ握らせる。
「費用はあとでこちらへ回します」
「で、ですが」
「急ぎなさい」
迷いのない声だった。
女は泣きそうになりながら礼を言い、子どもを抱えて走っていく。
湊はその背中を見送り、静かに言った。
「それ、自腹?」
「たまに」
「たまに、で済ませていい話じゃない気がする」
「予算の穴埋めに王家の個人費を使うのは好ましくありません。ですが、目の前の子どもに“次の決裁まで待ってください”とは言えないでしょう」
さらりと言うのに、そこへ積もってきた無理の量が透けて見えた。
その時、後ろに控えていた年配の官僚が静かに帳面へ何かを書きつけた。
白髪の混じった、穏やかな顔の男だ。
「ベルノルト殿?」
リゼリアが気づいて振り返る。
「いえ。北街診療所への臨時支出として、後ほど処理できる形を探しておきます」
声まで穏やかだった。
助け舟に聞こえる。
だが湊は、男が子どもではなく印章札の動きを見ていたことだけ、妙に覚えてしまった。
泥の跳ねた石畳を歩きながら、湊はふと思う。
この人が王位継承で不利なのは、優しくて甘いからではない。
たぶん逆だ。現実を見すぎるから、上で遊んでいる連中に嫌われるのだ。
午後、護岸工事の現場で小さな崩れが起きた。
悲鳴が上がる。
だがリゼリアは誰より早く動き、倒れかけた石材の位置を見て職人へ怒鳴った。
「その下へ入らないで! 横へ逃がして!」
カナンが即座に石材を蹴りずらし、湊は崩れかけた足場の楔を打ち直す。
大事には至らなかったものの、現場は騒然とした。
リゼリアは土埃まみれのまま、怪我人の確認まで終えてからようやく一息つく。
その頬に泥がついていた。
湊はハンカチを差し出す。
「王女様、顔」
「え」
「泥」
指摘されて、リゼリアは一瞬だけ気まずそうな顔をした。
だがすぐに受け取り、拭いながら微かに笑う。
「あまり、姫らしくありませんね」
「いや、むしろ現場にいる人のトップって感じ」
「それは褒め言葉ですか?」
「かなり」
そう返すと、彼女はほんの少しだけ目を細めた。
帰り道、王都の夕暮れを城壁の上から見下ろしながら、湊は確信する。
この第三王女は、飾りの姫じゃない。
国の傷口を自分の目で見て、泥にまみれてでも塞ごうとする人だ。
だからこそ、敵も多いのだろう。
城門が見えてきた頃、カナンが低く言った。
「ガルドが次を仕掛けるなら、そろそろだ」
湊が振り向く。
カナンの目は、王城の高い塔を睨んでいた。
「姫様が目立ちすぎた」
その言葉の意味を、湊はその夜すぐに知ることになる。
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