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マッチングアプリでマッチした相手は異世界の第三王女でした。〜召喚された最強クラフトマンは、崖っぷち小国を立て直して無双する〜  作者: 富益 啓


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第140話 山小屋の主

手形の高さに、触れないまま手をかざしてみる。


封の編み目が一筋だけ淡く光り、谷の奥を指した。


「道標の理屈と同じだ。……辿れ、ってことだろ」


光の筋は封の壁を離れ、崖沿いの獣道を縫って、風の当たらない窪地で消えた。


そこに、山小屋があった。


石積みに、片流れの屋根。

煙突。

薪の山は、几帳面に長さを揃えて積まれている。


「留守だな」


カナンが気配を読んで言った。


「だが、生活の匂いは濃い。留守にして、まだ数日も経ってない」


戸は閉じていたが、錠は掛かっていなかった。


湊は戸を開けた。


土間に炉。

壁に工具。

どの道具も使い込まれ、どれも研がれている。


湊は職人として、少しの間、言葉を失った。


鏝が、いいのだ。


写真で見たあの焼き印鏝が、炉の横に大きさ違いで三本、掛かっている。

柄の握りは飴色に沈み、先端の輪には焼き締めた膜が育っていた。

何十年も、正しく使われ続けた道具の色だった。


「腕は写真の頃より、確実に上がってる。この道具の減り方は、そういう減り方だ」


壁際の棚には、修理途中の器物が並んでいた。

麓の村の鍋。

刃の欠けた鎌。

子どもの木剣まである。

封じる男が、直す仕事も黙って引き受けている。

礼を受け取らない男の、たぶんこれが受け取り方なのだ。


道具箱の蓋の裏に、焼き印で銘が入っていた。


『ティンダール』


「ティンダール……工房の銘か、家名か」


「少なくとも、名無しの山男じゃなくなったな」


壁の釘に、暦が掛かっていた。


こちらの世界の、ごく普通の暦だ。

書き込みは、ほとんどない。


ただ一日だけ、墨の丸で囲まれた日付があった。


湊は、その日付を知っていた。


祖父の、葬儀の日だ。


日本の日取りを、こちらの暦に置き直した日。

誰にも教えていない。

教えようが、ない。


「……知ってたのか。あの日を」


蔵の扉越しか、境界の膜越しか。

方法は分からない。

だが偶然と片づけるには、墨の丸はあまりに正確だった。


それだけだった。

香も、花もない。


たぶん、この人の弔い方は、封を締め直すことなのだ。


カナンが暦の前で、静かに言った。


「少なくとも、相棒を弔う顔だ」


「ああ」


机の上に、置き手紙があった。


こちらが来ることを、完全に前提とした置き方で。


角張った、力の強い字。


『相沢の孫。

閉じ方も知らずに境界へ触れる者と、話すことはない。

帰れ』


「……手厳しいな」


カナンが顔をしかめた。


「半月近くかけて登ってきて、これか」


「いや、待て」


湊は手紙を灯りへ掲げた。

紙の裏に、インクの透けがある。


裏返す。


図面だった。


見覚えのある、三重の同心円。

北西鉱山の封印壁——第一層、第二層、最深部。

各層の工式の要点が、施工した者にしか描けない精度で書き込まれている。


話すことはない、と書いた男が。

帰れ、と突き放した男が。


閉じ方の教科書を、一枚だけ置いていった。


「これは……」


「試されてるんだ」


読めるものなら、読んでみろ。

閉じ方を知らないなら、覚えてみろ。

覚えたなら——もう一度来い。


手紙の表と裏で、言っていることが正反対だった。


そして湊は、こういう不器用さに、覚えがありすぎた。


祖父も、同じだった。

突き放す言葉の裏に、いつも図面を一枚忍ばせる人だった。


「帰るぞ、カナン」


「いいのか」


「宿題を貰った。次に来る時は、解いてくる」


山小屋の戸を、元どおりに閉める。


外へ出ると、谷の風が封の壁の方から吹き上げてきた。


振り返っても、稜線には誰もいない。


それでも。


誰も見ていないどこかで、笑わない男がこちらを測っている。

そんな確かな気配だけが、山にあった。


「王都へ帰って、まず何をする」


馬を引きながら、カナンが聞いた。


湊は懐の図面を、上着の上から押さえた。


「閉じ方の勉強。それと——リゼリアに、全部話す」


二人の番人と、名の消された同行者。

欠けた席。

溜まり続ける圧。

そして、山でひとり網を守る、ティンダールの銘の男。


境界の話は、もう湊ひとりの宿題ではなくなっていた。


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