第122話 笑う公爵の査定表
査察初日の対象は、王都北倉庫だった。
辺境から届く魔鉱、木材、保存食をいったん受け入れ、王都内の各局へ振り分ける中継倉庫。
ここが止まれば、地方と王都の両方が詰まる。
セヴェリンは倉庫へ入るなり、荷より先に人を数えた。
荷受け係が六人。
記録官が二人。
補修職人が三人。
「責任者は?」
「私です」
倉庫長が一歩出る。
「あなたが不在の場合は?」
「副長が」
「副長も不在なら?」
質問は続いた。
在庫量より、誰が判断するか。
設備より、故障時に誰を呼ぶか。
査察官たちは答えを聞くたび、細かな欄の並ぶ紙に印を付けていく。
湊は少し離れた位置から、その紙を見ていた。
題名は、北方通商施設査定表。
保管能力。
記録精度。
防火設備。
代替経路。
指揮継承。
最後の項目だけ、文字が小さい。
外部技術者依存。
「そこが本命か」
湊が呟くと、隣のカナンが眉を上げた。
「何だ」
「俺がいなくなったら、どこから止まるか見てる」
帝国は設備の安全だけを調べているのではない。
ルーメリアの再建が、相沢湊という一人の異邦人にどこまでぶら下がっているかを測っている。
一人を奪えば崩れる国なら、攻め方は簡単だ。
セヴェリンが補修台に並ぶ治具を持ち上げた。
「これは、ミナト殿がお作りに?」
「原型は」
答えたのは若い職人だった。
「今の寸法に直したのは、俺たちです。北方材だと湿気で膨らむんで」
「図面の変更権限を、現場の職人が?」
「変更履歴を残して、工務局と共有する決まりです」
職人は壁の記録板を示した。
日付、変更箇所、試験結果。
湊が教えていない改善まで、すでに二つ増えている。
一つは軸受けへの油の差し方。
もう一つは、雨の日の荷降ろし順。
どちらも派手ではない。
だが現場が自分の頭で足した工夫は、教えられた手順より長持ちする。
若い職人は説明しながら、少しだけ胸を張っていた。
セヴェリンの筆先が、一瞬だけ止まった。
次は荷車の軸受け。
倉庫長が指名した見習いが、治具を使って迷わず部品を合わせる。
次は在庫記録。
倉庫長には同意の上で別室に待機してもらい、副長だけで出庫手続きを行わせる。
数字は食い違わない。
別室から戻った倉庫長が、副長の記録に黙って判を押した。
確認して、任せて、責任だけ取る。
それができる上役が増えたことも、この一年の変化だった。
試すたび、査定表の「外部技術者依存」に付いた印が書き換えられていく。
「残念ですか」
リゼリアが尋ねた。
「何がでしょう」
「彼一人を外しても、この倉庫が止まらないことが」
セヴェリンは笑った。
「逆です。安心しております。隣国の倉庫が一人の気分で止まるようでは、帝国の商人も困りますから」
どちらへ転んでも、通商のためと言える。
本当に厄介な男だった。
リゼリアは追わなかった。
言葉で勝てる相手ではないし、勝つ必要もない。
査定表の数字さえ、こちらの望む向きへ動けばいい。
王女の戦い方も、この一年でずいぶん静かになった。
査察の終盤、湊は机に置かれた査定表をもう一度見た。
各項目の右端に、帝国語の略号がある。
倉庫を直すのに必要な日数ではない。
施設を帝国の保証制度へ組み入れる際、王国式の手順を帝国式に置き換えるまでの日数だ。
防火設備、三日。
記録方式、七日。
指揮系統、十日。
この表は通商施設の安全を測る顔で、国を取り込む手間まで計算している。
「公爵閣下」
湊が呼ぶと、セヴェリンは振り返った。
「この右端、何の日数です?」
「制度適合に必要な予測期間です」
隠さない。
「帝国制度へ、ですか」
「帝国の保証を受けるなら、帝国側の尺度も必要でしょう」
湊は査定表を机に戻した。
「じゃあ、その日数は延びます」
「ほう」
「俺たちは、帝国式へ替えるために直してるんじゃありませんから」
倉庫の奥で、見習いが次の荷車を受け入れている。
湊が指示しなくても、荷は止まらない。
セヴェリンはその光景を見て、査定表の数字を一つ消した。
代わりに、まだ空白だった欄に新しい印を付ける。
北境応答時間。
「明日は、こちらを測りましょう」
公爵の笑みは、少しも薄くならなかった。
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