第117話 帝国印の倉庫札
帝国印の札が付いた荷車は、南河中央船着場の集約倉庫へ入った。
表の看板には「南河共同倉庫・中央庫」とある。
王国の土地に建ち、働いているのも流域の人間だ。
だが、積荷に付け替えられる木札には、グランゼル帝国通商信用院の保証印があった。
木札の色は三種類。
白は通常出荷分。
青は維持費などの現物分担品。
黒は支払い遅延による担保分。
赤い糸を混ぜた麦袋には、青い札が付けられた。
ところが船積みの直前、係員が白札へ交換する。
帝国へ出す時には、通常の商業出荷品として扱われる。
維持費として安く取り上げた痕跡は、船着場で消える仕組みだった。
「保証って、何を保証してるんだ」
物陰から見ていたカナンが小声で聞く。
「契約どおりなら、借金の回収」
湊は職人検査を理由に正面から倉庫へ入った。
ハーゲンは拒まなかった。
「どうぞ。隠すものはありません」
その余裕が気に入らない。
倉庫の梁も床も、四年前に補強されている。
荷重には余裕があり、湿気抜きも正常。
壁際には空の区画が並び、それぞれ木札だけが先に掛けられていた。
第一村、麦二百袋。
第三村、豆百四十袋。
第七村、麦粉八十樽。
今年はまだ種も蒔かれていない。
それなのに、収穫物の置き場所と所有先が決まっている。
「未来の荷物に札を付けてるのか」
「返済計画です」
ハーゲンが答えた。
「計画どおり収穫されれば、流域の信用は守られます」
「村が何を植えるか決める前に、売る量を決めてる」
「需要を先に確保しているのです。農民にとっても安定でしょう」
「値段を選べない安定だ」
「変動には危険が伴います」
ハーゲンの言葉は、どれも正しそうに聞こえる。
危険を避け、価格を固定し、買い手を用意する。
ただし安全になるのは、貸した側だけだった。
湊は札を一枚外しかけ、指を止めた。
木札の裏に、細い工式が刻まれている。
ただの荷札ではない。
《工式解析》を通すと、中央庫の床に埋められた登録盤と繋がっていた。
穀物が中央庫の登録区画に置かれた瞬間、種類と重量が記録され、契約上の所有権が水利商会へ移る。
村から運び出された時でも、支所へ持ち込まれた時でもない。
中央庫の登録区画へ入った時点で、農民の手を離れる。
「この登録盤、帝国式ですね」
「信用院から貸与された正規品です」
「記録は王国にも渡している?」
「必要な数値は」
必要な数値。
つまり、差し引いた後だけだ。
湊は床の流路を追った。
登録盤から伸びた工式は、船着場の積荷台と会計室へ繋がっている。
さらに一本だけ、北へ向けた遠隔記録線があった。
通話板より弱いが、定期的に情報を送れる。
南河で何がどれだけ取れたか、王都より先に帝国側が知る仕組みだ。
さらに記録盤には、収穫予測の欄があった。
水門の開度、種麦の購入量、区画に掛けられた木札から、次の収穫を自動で見積もっている。
南河の村が作付申請を出した瞬間、帝国側では売却予定量まで分かる。
交渉の前から、相手だけがこちらの手札を見ていた。
「これは通商保証の範囲を超えています」
湊が言っても、ハーゲンは笑みを崩さなかった。
「契約書の第二十二条をご確認ください。債権保全に必要な収穫情報の共有を、組合は認めています」
また契約だ。
カナンが木札を睨む。
「全部剥がしたら?」
「帝国資産の毀損として抗議されるでしょう」
ハーゲンは待っていたように答えた。
「北方通商路の再査定中に、賢明とは思えません」
南河の一商人が、帝国との外交を盾にする。
背後がどこにあるか、自分から言っているようなものだった。
カナンが一歩前へ出た。
「お前は南河の商人だろ。帝国の言葉で国を脅すのか」
ハーゲンの笑みが、ほんの少しだけ固まる。
「商いに国境はありません」
「責任にもないと思ってる顔だな」
剣を抜かなくても、その言葉は十分に刺さった。
湊は王都へ登録盤の写しを送った。
通話板の向こうで、リゼリアはしばらく黙った。
『今、帝国印を壊せば、セヴェリンに査察の口実を与えます』
「やっぱり」
『ですが、王国内で無制限に情報を集めてよいと認めた覚えもありません』
静かな声に怒りが滲んでいる。
ユストが契約書の原本と王国法を照合することになった。
その間、湊は倉庫の出入口を測った。
すべての穀物をこの共同倉庫網へ入れる契約なら、入口を変えるだけでは逃げられない。
水門で作付量を押さえ、村で生産力を査定し、倉庫で所有権を取る。
畑から川まで、一本の契約で繋がっている。
水の流れを取り戻しても、その先で収穫物が帝国印の札に捕まる。
「出口まで塞いであるな」
カナンの言葉どおりだった。
南河を動かすには、水だけでなく、畑から市場までの流れを一つずつ取り戻す必要があった。
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