第115話 動けない村
十二の村のうち、最も作付面積が減った村を訪ねた。
家は荒れていない。
納屋には鍬が並び、刃は磨かれている。
種麦も、鼠を避けるため天井から吊ってあった。
いつでも始められる。
だからこそ、誰も始めない光景が痛々しかった。
村長のバルトは、湊たちを共同小屋へ通した。
「王都の方が来れば、いずれ聞かれると思っていました」
机の上へ置かれたのは、小型水車の設計図だった。
素朴だが、支流の弱い流れでも回るよう羽根の角度が工夫されている。
「村の職人が考えたんですか」
「息子が」
二年前、若者たちは自分たちで水車を組んだ。
流量が少なくても粉を挽ければ、共同倉庫へ穀物を運ぶ前に村で加工できる。
売値を少し上げられるはずだった。
水車が回ったのは、わずか三日だった。
水利商会の査定人が来て、「生産能力の向上」を記録した。
翌月から収穫評価料が上がり、まだ一袋も挽いていないのに返済額が増えた。
「水車は?」
バルトは小屋の裏を指した。
解体された羽根が、薪のように積まれている。
「壊れてない」
湊は一枚を持ち上げた。
木も金具もまだ使える。
「壊したんだ。使っていないだけでは、査定から外れなかったから」
村人たちは水車を解体し、資産登録から外すよう申請した。
その翌月、査定額は元へ戻った。
村人たちはそれを見て、仕組みを理解した。
良い道具を持たず、畑を増やさず、余分な働き手がいると知られないこと。
貧しいふりをしているのではない。
豊かになれる証拠を、自分たちで消さなければならなかった。
バルトの息子は、その後王都へ働きに出たという。
畑では若い農婦が、一人で畦を固めていた。
横には小さな苗床がある。
「植えないのに、苗を育てるのか」
カナンが尋ねる。
「植えられる年が来た時、種までなくなっていたら終わりだから」
農婦は手を休めず答えた。
「今年、王女殿下が水路を直してくださるという話も聞きました。でも、お断りしました」
「なぜ」
「王家の支援で設備が良くなれば、それも資産として再査定されます」
無償の修理でも、村の生産力は上がる。
上がったと判断されれば、借款費用が増える。
助けを受けることすら、借金の材料にされる。
「殿下を信じていないわけではありません」
農婦は絞り出すように続けた。
「前にも王都へ助けを求めました。返事が届くより先に商会の人が来て、他の村へ迷惑をかけたいのかと言われた」
誰かを脅した記録は残らない。
連帯保証の条文を読み上げただけだ。
正しい説明だけで、人は黙らされた。
「皆、働きたくないわけじゃない」
バルトが後ろから言った。
「働いて失うくらいなら、今あるものを減らさない方がいいと覚えただけです」
カナンは何も言わず、畑の向こうを見た。
彼女なら魔獣を斬れる。
脅す商人がいれば、村から追い出すこともできる。
しかしここには、剣を向ける相手が立っていない。
「斬れる相手の方が楽だな」
カナンが、珍しく弱い声で言った。
「斬ったら終わるから?」
「違う。斬るかどうか、自分で決められるからだ」
この村では、誰も自分で決められない。
種を蒔くことも、水車を回すことも、助けを受けることさえ、見えない誰かの査定に繋がっている。
湊は彼女の横に立った。
「なら、決められる場所まで戻そう」
カナンは少しだけ目を細めた。
「そういう無茶なら付き合う」
農婦が苗床に水をやる。
その量まで、決められた配分を超えないよう小さな器で量っていた。
帰り道、カナンが低く言った。
「動けば悪くなる。それを外から見て、怠けてるって言うのか」
「そう見せるための仕組みかもしれない」
生産量が落ちれば、南河の土地は安くなる。
返済不能が続けば、水利施設の運営権は水利商会へ移る。
住民が自分から諦めた形で、最後には土地と水だけが残る。
契約書には、三年連続で一定の返済率を下回った場合、水利施設の運営権を債権者へ移せるとある。
今年が、その三年目だった。
南河が止まっているのではない。
完全に手放す時まで、止められている。
湊は解体された水車の図面を借りた。
「直すのか?」
「今直したら、また査定される」
「じゃあ、どうする」
湊は設計図の隅に押された、資産登録番号を見た。
水車、荷車、水路。
この土地では、形にしたものから契約に捕まる。
「契約が見てるものを変える」
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