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マッチングアプリでマッチした相手は異世界の第三王女でした。〜召喚された最強クラフトマンは、崖っぷち小国を立て直して無双する〜  作者: 富益 啓


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第112話 静かすぎる流域

南河の朝は早い。


夜明け前から水門番が流量計を読み、船着場では係留索が点検される。

水車小屋の職人は軸に油を差し、農夫たちは畦の崩れを直していた。


誰も怠けていない。

それなのに、仕事は始まらない。


「動かす前の準備だけして、一日が終わるのか」


カナンが呟いた。


最初に訪ねた粉挽き小屋では、水車が止まっていた。

羽根も軸受けも傷んでいない。《工式解析》にも異常は出ない。


「回せますよね」


湊が尋ねると、粉挽き職人は頷いた。


「回せます。王家から届いた分は、昨日、全部挽き終えました。でも、その次の麦が来ません」


去年まで使った粉袋は、壁際にきれいに畳まれている。

農家が麦を作らないから、粉挽きも水車を回さない。


次に共同作業場へ行くと、荷車の補修材が積まれたままになっていた。

木材は乾燥済み。金具も規格に合っている。

ただし資材箱には、赤い紙が貼られていた。


審査中。


「誰の審査です?」


管理人は答えず、紙が剥がれないよう押さえ直した。


赤い紙の隅には、王家の印ではない小さな紋章がある。

水滴を囲む三本の麦穂。


同じ紋章は、水車小屋の使用簿にも、船着場の係留札にも押されていた。

一つの役所ではない。

粉挽き、農業、船運という別々の仕事に、同じ相手が許可を出している。


先行測量班と合流し、昼前には支流沿いの畑を歩いた。

土を一握り取ると、水分も養分も足りている。

種を蒔けば育つ。


畦で草を刈っていた老人に声をかけた。


「今年は何を植えるんですか」


「何も」


「土地を休ませている?」


「土地じゃない。人間の方を休ませてる」


老人は乾いた笑いを漏らした。


少し離れた場所で、幼い子どもが空の籠を抱えている。

収穫を手伝う年頃ではない。それでも籠の底には、去年の麦の殻が数粒残っていた。


「前は、あの子らが畑を走ると叱ったもんだ」


老人は草刈り鎌を止めた。


「今は走ってくれた方が、畑を使ってる気になる」


なぜ作らないのかと聞くと、老人は代官所の方角を見て口を閉ざした。


村ごとに同じだった。


禁止令も見張りもない。

だが水車を回そうとすれば審査、荷車を直そうとすれば承認待ちとなり、作付面積を増やせば翌日には取り下げ書が用意される。


命令文を残さず、同じ結果だけが作られていた。


昼の市場では、麦粉の値段だけが不自然に高かった。


「畑があるのに、王都から粉を買ってるのか」


カナンが袋の産地札を裏返す。


北部産、王都製粉。

北部から王都へ運ばれ、そこから荷車で二日かけて南河へ届いた品だ。


店主は声を潜めた。


「地元の麦を挽いて売るには、作付け、取水、加工、出荷の許可が要ります。外から仕入れるなら、商会の仕入れ札一枚で済む」


自分たちで作る方が、買うより難しい。


「その商会は?」


店主の目が、赤い審査紙の紋章へ向いた。

それ以上は言わなかった。


夕方、代官所へ戻った湊は申請台帳を借りようとした。


「閲覧には、水利組合の同意が必要です」


書記が目を伏せて言う。


「王国の台帳なのに?」


「共同管理ですので。組合の事務局は、南河水利商会が務めています」


商会の同意がなければ台帳を開けないのかと尋ねると、また沈黙が返る。


書記の机には、申請書が三つの箱に分けられていた。

王国、村落、水利組合。


王国と村落の箱は空に近い。

水利組合の箱だけが、未処理の紙で膨らんでいる。


禁止令がないからといって、誰も止めていないわけではない。

決める権限を一か所に集め、そこが何も決めなければ、すべてを止められる。


夜。


宿の食堂には十分な席があるのに、客は湊たちだけだった。

表通りで鐘が一度鳴る。


すると、向かいの家々がほとんど同時に窓を閉めた。


「合図か」


カナンが立ち上がる。


裏口には、昼の船頭が立っていた。


古い粉挽き小屋には、村長二人、水門番、農婦、倉庫の荷役が待っていた。

集まれなかった村からも、申請控えと水量記録が一冊ずつ届いている。


「一つの村だけで渡せば、残りへ請求が回る」


船頭は十二冊を同じ卓に置いた。


「だから今夜は、十二村の記録として渡します。誰か一人の密告にはさせない」


水門番が、支流ごとの流量を記した紙を開いた。

本流側の数字は足りている。村の用水口で測った数字だけが、どこも基準の六割前後まで落ちていた。


「水門は開いている。なのに、水は来ない」


老人は震える手で、記録板に自分の印を押した。


名のない手紙ではない。

仕事を失う危険を知る人々が、名と記録を揃えて調査を求めていた。


湊は十二冊を預かり、最初の頁に受領時刻を書いた。

水の音がする土地で、届かなかった声の方が先に一つに合流した。


毎日21時更新予定。お気に入り登録ぜひよろしくお願いします。

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