第11話 王女の事情
王女に頭を下げられたあと、湊が案内されたのは、豪華な客室ではなかった。
王城の西棟、そのさらに奥にある古い執務室だった。
広い机の上に積まれているのは宝飾品ではなく、帳簿と報告書と地図。壁には王国全土の街道図が掛けられ、窓辺には各地方から届いたらしい封蝋付きの書簡が山になっている。
「……王女の部屋って、もうちょっとこう、ふかふかした感じじゃないんだ」
湊が率直な感想を漏らすと、リゼリアは椅子に腰を下ろしながら苦笑した。
「寝室は別にありますよ。ですが、わたくしが一番長くいるのはここです」
「執務室」
「雑務室、と言った方が近いかもしれません」
その物言いが妙に自嘲的で、湊は部屋を見回した。
本棚には税収台帳、土木記録、穀物管理簿、兵糧配給表。どれも実務書類ばかりだ。王女が読む本棚としてはずいぶん色気がない。
カナンは扉の脇に腕を組んで立ち、相変わらず警戒を解いていない。けれどさっきまでの「すぐ斬る」空気よりは、だいぶ人間を見る目になっていた。
リゼリアは机上の地図を広げた。
「ルーメリア王国は、北をグランゼル帝国、西をヴェルム商盟、東をセレス聖国に囲まれています」
細い指が地図の端をなぞる。
「北は軍事、西は商業、東は宗教。どこも単独でルーメリアより大きく、豊かで、そして欲深い」
「だいぶ詰んでる立地だね」
「ええ。交易の要衝という言い方もできますが、弱れば一番に食われる位置でもあります」
王女らしからぬ容赦のない表現だった。
湊は地図へ身を乗り出す。確かに、川と海峡と街道が交わる場所にルーメリアはある。栄えれば強いが、内側が腐れば持ちこたえられない形だ。
「いまは何が一番まずいんですか」
「全部です」
即答だった。
さすがに笑うしかない。
だがリゼリアは真顔のまま、指を折って数え始めた。
「王都結界の老朽化。水利盤の不調。地方穀倉の損耗。街道の破損。兵装規格の乱れ。兵糧不足。商会の横流し。加えて、王宮内の権限争い」
「ちょっと待って。最後のだけ毛色違わない?」
「いいえ。全部繋がっています」
リゼリアは静かに言い切った。
「設備が壊れると、修理費が増えます。修理費が増えると、誰かが儲かります。街道が使えなくなると、特定の商会だけが別ルートで利益を得る。兵装の規格が乱れれば、誰かが不要な納品で金を抜ける」
机上の帳簿を一冊開き、湊の前へ滑らせる。
「これは近三年の王都修繕費です。水利盤の応急補修だけ、同じ不具合で七回請求されています」
「七回?」
「ええ。ですが、現物は一度も根治されていなかった」
湊は数字に目を通しながら、じわじわと腹の底が熱くなるのを感じた。
現場を壊したまま、補修名目で金だけ回している。
世界が違っても、嫌な構造は驚くほど見覚えがある。
「それを止めたいのが、王女様」
「第三王女です」
「そこ、そんなに違う?」
「違います」
珍しく、少しだけ拗ねた顔だった。
「父王陛下が長く病床にあってから、御前会議も政務印も兄上預かりのものが増えました。肩書きの重さと、実際に動かせる権限は別です」
「第一王女セレスティア姉上は東方諸国への長期使節で、今は王都を離れておられます。外交に強く、第二王子は軍と貴族に強い。わたくしは……余ったものを拾う役回りです」
「余ったもの?」
「壊れた倉庫。赤字の帳簿。苦情の山。税が取れない村。誰も行きたがらない視察」
そこでようやく、湊は理解した。
彼女が執務室で抱えているのは、名誉ではなく尻拭いなのだ。
だが、その尻拭いを、本当に自分の仕事だと思っている顔をしている。
「……だから、あんな泥臭い書類ばっかりなのか」
「泥臭い、ですか」
「悪い意味じゃない。ちゃんと国の生活に繋がってる資料ってこと」
リゼリアは一瞬だけ目を丸くし、それからふっと力を抜いたように笑った。
「それをそう言ってくれる方は、あまり多くありません」
カナンが横から口を挟む。
「姫様は、城にいながら城の仕事をしていないと言われることも多い」
「だって、城の仕事だけしてたら国が死ぬので」
リゼリアはあっさり言った。
さらりとしているくせに、覚悟の重い言葉だった。
沈黙のあと、湊は机の上の帳簿を閉じる。
「分かった。とりあえず、順番つけよう」
「順番?」
「俺、全部は無理。でも、どこを直せば他もマシになるかなら見られるかもしれない」
「……」
「水と食糧と兵站。この三つが死んでるなら、国力って結局そこから崩れるでしょ」
リゼリアははっきりと息を呑んだ。
その発想に驚いたのか、それとも同じ答えに辿り着いていたのか。
「やはり、あなたを呼んで正解でした」
「いや、呼んだのたぶん王女様じゃなくて、じいちゃんのシステムだけど」
「それでもです」
まっすぐ返されると、妙に照れくさい。
そのとき、執務室の扉が軽く叩かれた。
若い侍女が入ってくる。
「殿下、北兵装庫の件で兵務官が――」
「通してください」
侍女が下がる。
入れ替わりに、硬い顔をした中年の官僚が入室した。
「第三王女殿下。兵装庫の在庫確認ですが、槍の破損が想定以上に進んでおりまして」
リゼリアの眉がぴくりと動く。
「何本です」
「使えるものは三割ほどかと」
湊は思わず顔を上げた。
水、食糧、そして兵站。
その次に来たのは、よりにもよって兵装だった。
「……ねえ」
「はい?」
リゼリアが見る。
「その兵装庫、今から見に行ける?」
王女の表情が、少しだけ強くなる。
「もちろんです」
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