第10話 工房職人は王国の切り札
濃紺の法衣をまとった男は、名をバルクスといった。
王宮技師団を束ねる技師長らしい。
自己紹介を聞いた瞬間、湊は「ああ、こういう人いる」と妙に納得した。
現場を見ずに現場の上に立つことに慣れた人間特有の匂いがする。
「異邦人が水利盤を直した? そんな馬鹿なことがあるものですか」
バルクスは部屋の中央へ歩み寄り、いま動き出したばかりの水利盤を見上げた。
そしてすぐ、何事もなかったように頷く。
「……ふむ。たまたま位相が戻ったのでしょう」
「たまたま?」
リゼリアの声音が冷える。
「殿下、機構というものは繊細です。素人が偶然触れて、一時的に噛み合うこともあります。しかし、それを手柄のように扱うのは危険です」
「では、あなたは先ほどまで何をしていたのですか」
「最終調整です」
その言い切りに、部屋の空気が少しだけ白けた。
さすがに使用人たちも、さっきまで誰が慌てていたか見ている。
湊は言い返すより先に、水利盤の根元へしゃがみ込んだ。
やはり、違和感はそこにある。
表向きは補助輪の寸法ズレだが、その奥の流路石に、ごく薄い罅と削り痕があった。自然摩耗ではない。誰かがわざと調整を狂わせた痕だ。
「その石、いつ交換しました?」
湊が訊くと、バルクスは眉をひそめた。
「答える必要がありますか」
「あります。そこ、最初から削ってあります。寸法だけじゃなく、流路の角度ごと狂ってる」
「戯言を」
「じゃあ開けて見ればいい」
即答すると、男の目がわずかに揺れた。
その一瞬で十分だった。
湊は工具箱から細い金具を取り出し、石板の継ぎ目へ差し込む。梃子の要領でこじ開けると、内部に埋められていた流路石がずれ、裏面に刻まれた浅い削り痕が露わになった。
周囲がどよめく。
「ほら」
バルクスの顔から笑みが消えた。
「これは経年劣化で――」
「経年劣化で、削り方向が全部同じにはならない」
湊はさらに、外した部品の寸法をノギスで示す。
「こっちは規格より厚い。つまり、誰かが流路石を傷めて、その不具合を別部品で誤魔化した。だから今日みたいに一気に止まりかけた」
現場を知らない人間ほど、数字で詰めると黙る。
祖父より先に、湊が社会で覚えた生存術だった。
バルクスは口を開きかけて閉じた。
そこへ、もう一つの声が割って入る。
「……これは、これは」
柔らかい、だが底の冷たい男の声。
部屋の出入口に立っていたのは、装飾過多な上着を着た青年だった。整った顔立ちだが、目だけが笑っていない。周囲の騎士が一歩下がって道を空ける。
リゼリアの表情が硬くなる。
「兄上」
第二王子ガルド・ルーメリア。
湊は直感した。この男が、話に出ていた“城の中の敵”の中心に近い。
ガルドはゆっくりと水利盤へ歩み寄り、外された部品を見下ろした。
「異世界から来た職人、だったかな」
「相沢湊です」
「礼儀正しい。嫌いじゃない」
好きでもないだろうな、と湊は思った。
ガルドの視線は、友好的な仮面の奥でずっと値踏みしている。
道具として使えるか、使えないならどう壊すか。そういう目だ。
「だが、バルクスの失態を責めるにはまだ早い。偶然と実力は似て見えることがある」
「なら、試してもらっていいですか」
気づけば、口が勝手に動いていた。
カナンが横で小さく「おい」と呟いたが、もう遅い。
ガルドはおもしろそうに片眉を上げる。
「ほう?」
湊はさっき封印室で外した、罅の入った結界石を取り出した。カナンが戦闘のあと拾っておいてくれたものだ。
「これ、王宮結界の補助石ですよね。流路の分岐が古すぎて、負荷が一点に集まってる」
バルクスが反射的に言い返す。
「補助石にそれ以上の性能など不要です!」
「だから割られてるんですよ」
湊は石を作業台代わりの縁へ置き、細い刻み棒で溝を彫り直した。既存の流路を少し逃がし、負荷を散らすだけ。やることは単純だ。だが単純だからこそ、最初の設計思想が見えていないと手を入れられない。
最後に祖父の工具箱に入っていた銀杭の削り粉を溝へ擦り込み、石を起動させる。
ぼん、と柔らかな青光が広がった。
さっきまでひび割れていた石とは思えないほど安定した光だ。
部屋の明かりが一瞬だけ澄む。
カナンが目を見張る。
リゼリアは口元を押さえた。
バルクスは完全に黙った。
「補助石一つで、ここまで?」
その場にいた若い技師が思わず呟く。
湊は石をガルドへ向けて持ち上げた。
「偶然じゃなくて、構造です」
しん、と部屋が静まり返る。
次にガルドが浮かべた笑みは、さっきよりずっと薄かった。
「……なるほど。君は、たしかに少し面倒そうだ」
そこでガルドは、水利盤ではなく、壁に掛けられた王国地図へ目をやった。
「だが、リゼリア。国というものは、傷んだ部品をすべて救えるほど軽くない」
リゼリアの眉がわずかに動く。
「何を仰りたいのですか」
「王家という芯が残れば、国の形は残る。外縁の村や古い設備に王都の血を流し続けるのが、常に正しいとは限らないということだ」
言い方は穏やかだった。
だが湊には、壊れた部品を切り捨てる時の声に聞こえた。
リゼリアの返事は短い。
「民を外縁と呼ぶ国に、芯などありません」
兄妹の間に、目に見えない罅が走った気がした。
その本音が漏れた直後、リゼリアが一歩前へ出た。
「兄上。この方は、わたくしが召喚した客人です」
真っすぐな声だった。
「そして今この瞬間から、この方はルーメリア王国に必要な技術者でもあります。もはや、失ってよい方ではありません」
湊は思わず彼女を見る。
疲れた顔をしているくせに、その背中は驚くほど強い。
ガルドは数秒だけ妹を見つめ、やがて肩をすくめた。
「好きにするといい。ただし、期待が大きいほど失望も大きい」
そう言い残して去っていく。
だが、去り際に湊へ向けた視線だけは、はっきりと敵意を帯びていた。
扉が閉まる。
重苦しい空気が少しだけ緩む。
カナンが腕を組んだまま鼻を鳴らした。
「やっかいな相手に目をつけられたな」
「……あの兄上、だいぶ嫌なタイプだね」
「今さら気づいたのか」
珍しく、リゼリアが小さく笑った。
それは画面越しでは見えなかった、年相応の柔らかい笑みだった。
けれど次の言葉には、王女としての強さが戻っていた。
「ミナト」
「はい」
「お願いがあります」
「たぶん、すでに断れない流れですよね」
「ええ」
即答だった。
リゼリアはまっすぐ湊を見る。
「この国は、いま崖っぷちにあります。結界も、水路も、物流も、人の心も、あちこちが壊れかけている」
「……」
「だから、力を貸してください」
王女が、正面から頭を下げた。
その場にいた全員が息を呑む。
湊は祖父の工具箱を見下ろし、次に、壊れかけた設備と、それでも諦めていない王女の顔を見た。
逃げるには、もう遅い。
「分かりました」
口にした瞬間、自分でも妙に腹が据わった。
「壊れてるなら、直します」
リゼリアはゆっくり顔を上げた。
「ありがとうございます」
その瞳に、初めてはっきりと希望の色が灯る。
そして湊は知らなかった。
そのやり取りを、閉じた扉の向こうでガルドが最後まで聞いていたことも。
第二王子の口元に浮かんだ冷たい笑みが、これから先、自分へ向けられる敵意の始まりだということも。
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