第109話 鉱山の底で
黒い封印壁に《工式解析》を通すと、異なる流路が三層に重なっていた。
表層は繋ぐ工式。
中層は流れを逸らす工式。
最深部は、何も通さないための工式。
三つの系譜。
祖父の手記にあった言葉が、頭をよぎる。
「開けられるか?」
カナンが尋ねた。
「全部は無理だ。俺が読めるのは、たぶん一層目だけ」
それでいい。
封印の目的も分からないまま、山の底を開け放つつもりはなかった。
《工式解析》を深く通そうとすると、三層の境目で視界が弾かれる。
一つ目は見慣れた祖父の組み方に近い。
二つ目は流れを横へ滑らせ、触れた解析そのものを別方向へ逃がす。
三つ目には、入口さえ見つからない。
三つの異なる考え方が重なっている。何人の手で組まれたのかは、まだ読み取れない。
カンラッドはゲンツと見張りを地上へ戻し、自分は湊たちと残った。
「旅人は、継ぐ者なら最初の扉を開けると言った」
「方法は?」
「何も」
相変わらず不親切だ。
祖父の知り合いなら、その辺りまで似ているらしい。
「開けるかどうかは、継ぐ者だけで決めていいんですか」
湊が尋ねると、カンラッドは封印を見つめ、それから三年間掘れずにいた坑道を振り返った。
「扉がお前を継ぐ者と認めても、この山で危険を引き受けてきた者の意思を無視していいことにはならん」
老人は記録板に自分の印を押した。
「代官として、第一層の開扉と観測室への立ち入りを許可する。異常が出れば閉じる。さらに奥は、今日の許可に含めん」
扉が見分けるのは、継ぐ者かどうかまでだ。
開扉の権限は、今ここにいる管理者が渡した。
湊は表層の流路を追った。
鍵穴も操作盤もない。
符号の中心にだけ、魔力を受ける細い溝が外へ開いている。
工具で触れても反応しない。
手記を近づけても同じだった。
ふと、祖父の蔵の扉を初めて開けた夜を思い出す。
あの時、木のささくれで指を切った。
湊はカンラッドにもう一度確認してから、指先を浅く傷つけ、血を一滴、中心の三角に落とした。
符号が淡く光る。
「ミナト」
「大丈夫。一層だけだ」
二重円の内側がゆっくり回り、封印壁の表面に細い扉が現れた。
中層と最深部は動かない。
湊の血に応じたのは、表層だけだった。
三つの系譜は、やはり別々の鍵を持つらしい。
扉が開くと、カナンが先に半歩踏み出した。
「待って。工式が――」
「だから私が先だ」
湊の腕を押さえ、自分の剣先だけを暗がりへ差し入れる。
変化がないことを確かめてから、ようやく手を離した。
「解析できるからって、危なくないわけじゃない」
「分かってる」
「分かってる奴は、血を落とす前に私にも相談する」
返す言葉がなかった。
扉の先は、小さな作業室だった。
壁には工具掛け。床には使い切った魔鉱。奥には掌ほどの鍵板が埋め込まれている。
机の上に、折り畳まれた紙があった。
『この山は、向こう側からの逆流を受け止めている』
短い書き置きだ。
『採掘を続ければ流れが細り、封鎖が破れる。最深部の封には触るな。いずれ、継ぐ者が来る』
署名はない。
カンラッドが携えてきた記録束を、書き置きの横に置いた。
三年分の観測記録だった。
最初の半年は毎日。その後は七日ごと。
記録者の欄にはカンラッドの印がある。
採掘した魔鉱に残る魔力量が少ないほど、封印の圧力は安定していた。
採掘量を増やした月だけ、最深部の圧力値が跳ね上がっている。
「守ってたんですね」
湊が言うと、老人は目を伏せた。
「町の者には、恨まれておる」
原因を語れないまま採掘量を絞り、若者が町を出ていくのを見送った。
それでも封印を守る方を選び続けた。
「全部は話せなくても、この山が終わったわけではないと、町の者に説明できる形にします」
カンラッドはすぐに頷かなかった。
ただ、三年分の記録を湊に差し出した。
「逆流って、何が流れてくるんだ」
カナンの問いに、湊は答えられなかった。
魔鉱の質が落ちたのは、鉱脈の力が封印へ回されているからだ。
この山は三年間、何かがルーメリアへ流れ込むのを受け止め続けていた。
修理して採掘量を戻せば、封鎖を弱める。
直すべきものを間違えれば、国の傷を広げるところだった。
封印と町を一緒に守るには、今ある低品位の魔鉱を無駄なく使う。
採掘ではなく選鉱と精製を直せば、山から奪う量を増やさず、出荷品の価値を上げられる。
部分的な解決でも、封印を壊すか町を見捨てるかの二択からは抜けられる。
図面を形にするには、費用と時間が要る。
必要なのは、ゲンツが挙げた十日分の賃金、炉石、冬用の薪だ。副線を起こす間は、わずかに残っていた主線の出荷も止まる。
湊は改修図の最初の項目に『再開前賃金と冬燃料を先払い』と書いた。
山から奪う量を増やさないなら、再開費用を働く家だけに押し付けてはならない。
湊は奥の鍵板を調べた。
祖父の遺品スマホとよく似た流路が、境界の向こうへ細く伸びている。
「これが接続先の観測端末か。触れてもいいですか」
カンラッドとカナンが頷くのを待ち、湊は鍵板に指先で触れた。
その瞬間、ポケットの中で通知音が鳴った。
スマホを取り出す。
画面には、今までなかった文字が浮かんでいた。
接続先情報、補完。
表示の下で、空白だった欄の読み込みが始まる。
だが内容が現れる前に信号が途切れ、画面は暗くなった。
同時に、封印壁のさらに向こうから低い振動が伝わった。
音というより、巨大な水流が遠くの岩盤へぶつかる感触に近い。
湊はすぐに鍵板から指を離した。
カナンの手が剣の柄へ伸びる。
カンラッドは顔を強張らせた。
三人が観測室を出る間に、振動は最深部の封印に吸い込まれるように消えた。
カンラッドが異常の収まりを確認すると、湊は第一層の扉を閉じた。
老人は閉鎖時刻を記録板に刻んだ。
向こう側は、空ではない。
「……祖父さん、仕事多すぎるだろ」
思わず笑う。
「笑ってる場合か」
カナンの返しは正しい。
完全な暗闇だった場所に、初めて道筋が見えた。
その道筋は、山の封印に隔てられた向こう側へ続いていた。
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