第107話 止まった鉱山
翌朝、湊はカンラッドの許可を待たず鉱山へ向かった。
正確には、リゼリアが王都から別便で送り、昨夜のうちに届いていた視察許可証を使った。
第三王女の直筆署名と王家の印が並ぶ書面を前に、老代官は長い沈黙の末、案内人を出した。
案内役は、現場監督のゲンツと名乗った。山へ入って二十年。左手の中指だけが、不自然に曲がったままだった。
「王女様、準備がいいな」
カナンが感心する。
「俺たちが追い返されるところまで読んでたんだと思う」
「お前の扱いに慣れてる」
坑道へ入ると、一定間隔で魔力灯が並んでいた。
支柱に腐食はなく、排水溝も詰まっていない。
鉱石を地上へ運ぶ軌道車も、古い型ではあるが丁寧に手入れされている。
すれ違う鉱夫たちは、道具をきちんと整えていた。
鶴嘴の刃は研がれ、革手袋の破れには当て布がある。
研がれた刃と繕った手袋には、働く意思が残っている。
それでも誰も歌わない。
軌道車が通る時の掛け声さえ、必要な一言だけだった。
「事故の後みたいだな」
カナンが周囲に聞こえない声で言う。
「でも、事故は増えてない」
何かを恐れている。
しかも恐れていることを、外から来た人間に知られる方が怖いらしい。
《工式解析》を重ねても、致命的な欠陥は浮かばなかった。
「本当に壊れてない」
湊は軌道の留め具を戻した。
「だから帰るか?」
「まさか」
動く設備の次に、湊は運ばれている鉱石そのものを見た。
選鉱場へ回ると、作業台には掘り出されたばかりの魔鉱が積まれていた。
大きさは十分。しかし断面に解析を通すと、内側を走る魔力の筋が細い。
「質が落ちてる」
ゲンツの肩が揺れた。
曲がった中指は、三年前の「落盤」で負った傷だという。
「いつからです?」
「……少しずつだ」
「王都の記録では、出荷重量が三年前を境に急に下がってる」
王都で見た出荷記録には、出荷した鉱石の重量しか書かれていなかった。
同じ重さでも魔鉱として使える部分が減れば、武具や結界板に必要な量は増える。
王国は数字の上では鉱山を失っていないまま、実際の生産力だけを削られていた。
「鉱脈が枯れたのか」
カナンが尋ねる。
湊は首を振った。
「枯れ方が変だ。外側から薄くなるんじゃなく、奥へ行くほど魔力が抜けてる」
湊は三つの区画から出た鉱石を並べた。
入口側は薄い青。中央は灰色。最奥側は、芯まで色が抜けかけている。
同じ日に掘った石とは思えない。
「出荷前に混ぜていますね」
ゲンツが唇を噛んだ。
質の違う鉱石を混ぜ、出荷品の平均品質だけは急落しないように見せていた。
急に鉱山閉鎖を命じられれば、この町の全員が仕事を失う。
「三年、少しずつ薄めて持たせたのか」
湊が重ねて問う。
ゲンツは答えなかった。
その沈黙が肯定だった。
「低品位の石だけ、別の線で精製できないか」
湊が問うと、ゲンツは選鉱場の奥に積もった灰を見た。
「古い副線はある。だが、起こすなら主線も十日止める。炉石と冬用の薪も先に要る。その間、四十六人分の賃金はどこから出す」
設備があることと、再び動かせることは別の話だった。
この三年で町の蓄えは減っている。一度止めれば、再開まで賃金を待てない家から、また若い者が出ていく。
山の底に、鉱脈の力を吸い上げる何かがある。
あるいは、内側から流れを止めている。
さらに奥へ進むと、坑道の一本が新しい石壁で塞がれていた。
地図には採掘区画として残っている。
「ここは?」
ゲンツが目を伏せた。
「三年前の落盤で、閉じました」
壁には落盤の衝撃痕が一つもなかった。
積まれた石は大きさが揃い、目地には魔力を通しにくい黒灰が詰められている。
向こう側を封じ込めるため、人の手で築いた壁だ。
その時、少し離れた場所でカナンがしゃがんだ。
「ミナト、これは?」
軌道脇から拾い上げたのは、親指ほどの黒い石だった。
濡れてもいないのに艶があり、魔力灯の光を吸うように暗い。
近くの鉱夫たちの顔色が変わった。
「それは持ち帰らないでください」
ゲンツが反射的に叫ぶ。
静かだった坑道に声が響いた。
ゲンツ自身も口にしてから失敗に気づいたらしく、青ざめて唇を閉じる。
「ただの石じゃないんですね」
湊が近づくと、黒い石の表面に細い線が見えた。
何かの工式が焼き切れ、細い痕跡だけが残っている。
解析を通した瞬間、視界の端に細い雑音が走った。
石そのものに魔力はほとんどない。
代わりに、周囲の流れを内側へ引こうとする空白がある。
湊はすぐ解析を切った。
「鞄に入れるな」
カナンは頷き、石を元の場所へ戻す。
「持ち帰らないでくれ、じゃない。ここから動かさないでくれ、か」
鉱夫たちは誰も否定しなかった。
夜。
宿の部屋で、湊は採掘記録を床いっぱいに広げていた。
三年前を境に、奥側の区画だけ作業日数が減っている。
落盤があったとされる日には、負傷者も死者も記録されていない。
向かいで剣を手入れしていたカナンが、低く言った。
「鉱山が止まってるんじゃなくて、止めてるんじゃないか」
湊も同じ日付に指を置く。
偶然なら、隠す必要はない。
「たぶん、三年前からずっと」
誰かが山そのものに封印を掛けている。
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