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断罪された悪役令嬢ですが、“嘘を一つだけ混ぜたら”全部壊れました ~正しさは、簡単に裏返る~  作者: 空乃エリシア


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第二話 沈黙の理由

「あなたの断罪を、無意味にする方法について」


 そう囁かれた瞬間に、頷いてしまえるほど、わたくしは素直ではない。


「ずいぶんと気軽におっしゃるのですね」

 廊下の窓に映る自分の顔は、思ったよりも平然としていた。

「王太子殿下のご判断を、たかが一貴族子息が覆せると?」


「覆す必要はありません」

 アシュレイ・クロードは涼しい顔で言った。

「判断が正しいまま、無意味になればいい」


 意味がわからない。

 意味がわからないのに、この男はわざと説明を削っている気がする。

 人を苛立たせるのが上手いのだろう。少なくとも、わたくしは十分に苛立っていた。


「遠回しな物言いはお嫌いですか?」

「好きなご令嬢がいらっしゃるなら、そちらでお試しになって」

「残念ながら、私は効率を好みますので」


 軽口の応酬に見えて、どちらも一歩も引いていない。

 夜会の音楽が遠ざかる廊下で、そこだけ別の空気が流れていた。


 彼は顎で、廊下の先にある小さな談話室を示した。

「立ち話では不都合です。あなたにとっても」


 断るべきだろう。

 断罪直後の令嬢が、殿下の側近と密談など、噂の燃料としては上等すぎる。


 けれど今さら、何を惜しむのかしら。


 わたくしは一歩先に歩き出した。

「五分だけですわ」

「十分ください」

「図々しい方」

「褒め言葉として受け取っておきます」


 談話室は使用人用の灯りしかなく、夜会の華やかさとは縁遠い薄明るさだった。

 わたくしは窓際に立ったまま、椅子には座らない。対して彼は、断りもなく一脚引いて腰掛けた。

 ずいぶんな余裕だ。


「それで?」

「ではまず、確認から」


 彼は指を組み、こちらを見る。

「あなたはやっていない」

「何をですの」

「全部です」


 即答だった。

 少し、嫌な気分になる。

 潔白を信じられて嬉しい、などという可愛げは、わたくしにはない。

 むしろ、どうしてそこまで断言できるのかが不気味だった。


「根拠のない擁護は趣味ではありませんの」

「擁護でもありません。観察の結果です」


 彼は淡々と続けた。


「教材の破損。あれは温室で管理されていた希少植物の標本箱でしたね」

「……ええ」

「蓋の蝶番が右から壊れていた。あなたは左利きではない」


 わたくしは瞬きをひとつした。


「茶会での侮辱。証言した令嬢のうち二人は、その日同席していません」

「随分とお詳しいのね」

「名簿は退屈しのぎに眺めることがあります」


 そんな退屈しのぎがあってたまるか。


「階段の件については、もっと単純です」

 彼はそこで少しだけ目を細めた。

「あなたはあの時間、王妃殿下付きの侍女長に呼ばれていた」


 今度こそ、わたくしは黙った。


 侍女長に呼ばれた件は、公にはしていない。

 王妃殿下の私的な指示だったからだ。侍女長とわたくし、それにあの場で湯を淹れていた侍女くらいしか知らない。

 少なくとも、夜会の場で軽々しく口にしていい話ではない。


「……盗み聞きでも?」

「人聞きが悪い。人の出入りを見ていただけです」


 さらりと言うあたり、悪びれる気配がまるでない。

 けれど問題はそこではない。


「そこまでわかっていて、なぜ殿下の横で黙っていましたの」

「必要がありませんでしたから」

「必要が」

「ええ。あの場で私が口を挟めば、あなたは“誰かに庇われる側”になる」


 彼の声には、奇妙な冷たさがあった。

「あなたは、それを望んでいない」


 違う、と即座に否定できなかった。

 望んでいない、というより――もう期待していない。

 誰かが真実を並べてくれれば救われる、などと。


 わたくしは視線を窓の外へ逃がした。

 夜の庭園は整いすぎていて、かえって息苦しい。


「買いかぶりですわ」

「いいえ。だから私は、あなたが喚かなかったことに興味を持った」


 彼は少しだけ笑う。

 人を安心させるための笑みではなく、興味の対象を見つけた人間の笑みだ。


「普通なら、潔白を訴える」

「普通であるつもりはありませんの」

「ええ、そうでしょうね」


 その頷き方が妙に自然で、腹が立つ。

 まるで最初から、わたくしがそういう人間だと知っていたみたいだ。


「では逆に伺いますわ、クロード様」

 わたくしは向き直った。

「あなたは何をなさりたいの? わたくしの無実を知っている。それでも殿下の前では黙っていた。今さらここへ来て、綻びを数えて見せる。――それに何の得があるのです」


「得、ですか」

「お好きでしょう、そういうの」


 彼は一瞬だけ黙った。

 その間が少し長かったせいで、かえって本音に近く見える。


「盤が動くからです」

「は?」

「今の王都は、あまりにも整いすぎている。正しい者が褒められ、従順な者が愛され、都合の悪い者が悪役になる」

 彼は言葉を選ぶ気もなく続けた。

「退屈なんですよ」


 その瞬間、わたくしは初めて、この男が殿下より危険だと思った。


 アルベルト殿下の正義はわかりやすい。

 眩しすぎて人を焼くが、少なくとも本人は正しいことをしているつもりでいる。


 けれど、この男は違う。

 正しさそのものに価値を置いていない。

 整ったものを壊す理由が、退屈だからだなんて。


「最低ですわね」

「よく言われます」

「言われて直す気は?」

「ありません」


 即答。清々しいほどに。


 笑ってしまいそうになったのを、ぎりぎりで飲み込む。

 こんな場面で笑うなど、本当にどうかしている。


「ですが、あなたにとっては好都合だ」

 アシュレイは椅子の背にもたれた。

「あなたは今日、負けたことにされた。ならば勝ち方を変えればいい」

「随分と簡単に」

「簡単ではありません。面倒です。時間もかかる。人も使う。あなたにも相応の覚悟が要る」


 そこまで言ってから、彼は初めて少しだけ声を落とした。


「何より、綺麗では済みません」


 その言葉だけは、妙にまっすぐ耳に届いた。


 綺麗では済まない。

 それはたぶん、脅しではない。

 確認だ。


「わたくしが嫌がると思って?」

「いいえ」

 彼は言う。

「あなたは、綺麗に済ませたいなどと、もう思っていない」


 その一言で、胸の奥のどこかが小さく軋んだ。


 思っていない。

 ええ、たしかに。

 わたくしはもう、きちんと誤解を解けば、ちゃんと話せば、わかってもらえるなどと思うほど、愚かではない。


 でも、それを人に言い当てられるのは気分が悪い。

 まるで、捨てたものの形まで見られたみたいで。


「……気持ちの悪い方」

「光栄です」


 少しだけ間が空く。

 その沈黙を、今度はわたくしが破った。


「ひとつ、訂正を」

「なんでしょう」

「わたくし、やっていないことをやったと言われるのは不快ですけれど」

 自分でも驚くほど、声は静かだった。

「もし本当に誰かを突き落とすなら、証拠が残るやり方は選びませんわ」


 数秒遅れて、彼が吹き出した。


 この男、笑うのね。

 先ほどの気配だけの笑いではなく、ちゃんと声を漏らして。


「それは頼もしい」

「褒めていません」

「ええ。ですが、ようやく本音が出た」


 しまった、と思ったときには遅い。

 彼の目が、先ほどより少しだけ楽しそうになっていた。


「では話が早い。あなたはやはり、ただ踏み潰される側ではない」


 悔しいけれど、否定しなかった。

 今さら善良な被害者のふりをするのも、もう遅い。


「それで?」

 わたくしは促した。

「方法があるのでしょう」


 アシュレイは懐から小さな紙片を取り出し、卓上に置いた。

 夜会の招待客名簿の切れ端に見える。

 その端に、見覚えのある紋章が押されていた。


 ヴァルモンド公爵家の、私印。


 喉の奥がひやりと冷える。


「これは……」

「今夜、あなたの断罪が始まる前に、ある侍従が運んでいた連絡票です」

 彼は指先でその紙片を軽く叩いた。

「提出先は、王太子側近室。差出しはあなたの家」


 鼓動が、ひとつ遅れて大きく鳴った。


「そんなはず――」

「あるでしょうね」

 彼は穏やかに言う。

「だからこそ、面白い」


 面白い、ではない。

 けれど否定の言葉は続かなかった。


 もしこれが本物なら。

 今夜の断罪は、外から仕掛けられたものではない。

 少なくとも一部は、ヴァルモンド公爵家の内側から動いていたことになる。


 わたくしを切るために。

 あるいは、わたくしを餌にするために。


「……誰が」

「そこから先は、今のあなたが一番知りたいことでしょう」


 彼は立ち上がる。

 最初から、ここで全部を話すつもりはなかったらしい。


「待ちなさい」

「おや。五分はもう過ぎましたよ」


 人を苛立たせる天才か、この男は。


「あなた、最初からこれを見せるために」

「ええ。あなたが沈黙した理由に価値があると確認できたので」


 彼は扉へ向かい、それからふと思い出したように振り返った。


「レティシア嬢。ひとつ忠告を」

「結構です」

「そう言わずに。今夜のうちに、あなたの味方を数えないことです」

「……どうして」

「減ると悲しいでしょう」


 そう言って、彼は本当に出ていった。


 談話室に残されたのは、紙片と、妙に静かな空気だけだった。


 わたくしはしばらく動けなかった。

 怒っているのか、冷えているのか、自分でもよくわからない。

 ただ、ひとつだけははっきりしている。


 あの断罪は、殿下とミレイユ嬢だけで出来上がったものではない。

 もっと近い場所から、もっと早くに始まっていた。


 そして、もしそうなら――


 わたくしはもう一度、卓上の私印を見た。


 否定しても意味がない。

 そう思っていた。


 けれど、意味のないはずの断罪を、本当に無意味にできるなら。

 そしてそのために、わたくしの家の誰かが敵であると知る必要があるなら。


 今夜、捨てたものを拾い直すことになるのかもしれない。


 面倒ですこと。


 でも、少しだけ。

 本当に少しだけ、胸の奥が熱かった。

断罪の場で終わるはずだったのに、どうやら外だけでなく内側も、かなり綺麗ではなさそうです。


次はもう少し踏み込みます。

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