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断罪された悪役令嬢ですが、“嘘を一つだけ混ぜたら”全部壊れました ~正しさは、簡単に裏返る~  作者: 空乃エリシア


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第三話 帰る場所

 卓上の紙片は、まだそこにあった。


 夢ではないらしい。

 それが少しだけ厄介だった。


 わたくしは指先でそれを持ち上げる。

 軽い。あまりにも軽い紙片なのに、重さだけが指に残る。


 ヴァルモンド公爵家の私印。


 見間違えるはずがない。

 幼い頃から、嫌というほど見てきた紋章だ。


「……趣味が悪い」


 誰に向けたわけでもなく呟く。

 けれど、悪いのは紙ではない。


 これを“用意した側”だ。


 談話室の扉はすでに閉まっている。

 アシュレイ・クロードは、本当に去ったらしい。

 説明も、交渉も、何も残さずに。


 ――今夜のうちに、あなたの味方を数えないことです。


 あの言葉が、やけに耳に残る。


 数えないこと、ではない。

 数えたくないのだ。


 もし数えてしまえば、減るのがわかっているから。


 わたくしはゆっくりと息を吐いた。


 感傷に浸る時間ではない。

 あの男は、そういう余白を与える気はない。


 ならば、こちらも同じようにするだけだ。


 紙片を畳み、袖に滑り込ませる。

 視線を上げると、窓の外はもう完全に夜だった。


 帰る場所。


 その言葉が頭に浮かんで、少しだけ可笑しくなる。


 帰る、ですって。

 どこへ?


 断罪されたばかりの令嬢が、何事もなかったように屋敷へ戻る。

 想像するだけで、なかなか滑稽だ。


 けれど。


 ――そこに“答え”があるなら。


 躊躇う理由は、あまり多くない。


 わたくしは扉へ向かった。


 廊下に出ると、夜会のざわめきはもう遠くなっていた。

 使用人たちが慌ただしく行き来している。

 視線は合うが、誰も声をかけてこない。


 当然だ。

 今のわたくしは、“扱いに困る存在”だろうから。


 それでも構わない。


 誰かに止められるほうが、今は面倒だ。


「レティシア様」


 呼び止められたのは、階段を下りたところだった。


 振り向くと、ヴァルモンド家の従者の制服を着た青年が立っている。

 見覚えのある顔だ。屋敷で何度か見かけている。


「迎えに参りました」

「ずいぶん早いのね」

「……はい」


 言葉が詰まる。

 ほんの一瞬だが、それを見逃すほど鈍くはない。


「誰の指示かしら」

「旦那様からです」


 父の。


 それは、ある意味で自然だ。

 娘が断罪されたのだから、迎えを寄越すくらいはするだろう。


 けれど――


 わたくしはゆっくりと一歩近づいた。


「今夜の出来事、もうご存知なの?」

「それは……」

「夜会が終わる前に?」


 従者の喉が、わずかに動く。


 答えは聞かなくてもいい。

 その沈黙で十分だ。


 ――やはり、早すぎる。


 あの断罪は、突発的に見えて、準備されていた。

 そしてその情報は、すでに屋敷に届いている。


 誰かが、事前に。


「……そう」

 わたくしは軽く頷いた。

「では案内してちょうだい」


 従者は一瞬だけ戸惑い、それから頭を下げた。

「かしこまりました」


 歩き出す。


 馬車寄せへ向かう道は、夜の空気が少しだけ冷たかった。

 頬に触れるその温度が、妙に心地いい。


 不思議なものだ。

 さきほどまで“終わり”だったはずの夜が、今はむしろ始まりのように感じる。


「レティシア様」


 馬車の前で、従者が扉を開けながら言った。


「お疲れのところ申し訳ありませんが、旦那様がすぐにお会いしたいと」

「でしょうね」


 わたくしは躊躇わずに乗り込む。


 柔らかな座席に身体を預けた瞬間、ほんのわずかに力が抜けた。


 疲れているのかもしれない。

 あるいは、ようやく“考える時間”ができたからか。


 馬車が動き出す。


 窓の外を、学園の灯りがゆっくりと流れていく。


 あの大広間で、すべてが終わるはずだった。

 それはきっと、多くの人間にとってはそうなのだろう。


 けれど。


 わたくしの中で、何かが少しだけ変わっていた。


 否定しても意味がない。


 そう思っていた。


 でも今は、違う。


 意味がないなら、意味を作ればいい。


 そのために必要なのが――


 真実か、あるいはそれに近い何か。


 袖の中の紙片に触れる。


 これを持っている限り、知らないままではいられない。


 馬車が大きく揺れ、門を抜けた。


 王都の夜は静かだ。

 昼の喧騒が嘘のように、整っている。


 整いすぎている。


 あの男が退屈だと言った理由が、少しだけわかる気がした。


「……面倒ですこと」


 ぽつりと呟く。


 けれどその声は、どこか軽かった。


 やがて馬車は、ヴァルモンド公爵邸の門をくぐる。


 見慣れたはずの屋敷が、今夜は少しだけ違って見えた。


 帰ってきた、という感覚はない。


 むしろ。


 ――踏み込んだ、に近い。


 扉が開く。


 出迎えの灯りの奥で、執事が一礼した。


「お帰りなさいませ、レティシア様」


 その声はいつも通りだった。


 いつも通りすぎて、逆に不自然なほどに。


 わたくしは一歩、敷居を越える。


 その瞬間、はっきりと理解した。


 ここにはもう、“帰る場所”はない。


 あるのは。


 敵か、あるいは。


「旦那様が書斎でお待ちです」


 執事が静かに告げる。


 わたくしは頷いた。


 さて。


 どなたが、わたくしを切り捨てたのか。


 それとも。


 ――わたくしを、使うつもりなのか。


 どちらにしても。


 今夜で、一つははっきりするでしょう。

断罪の外側ではなく、内側の話が動き始めました。


ここから先は、誰が味方で誰が敵か、簡単には見えなくなっていきます。

少しでも気になるところがあれば、ブックマークや評価で残してもらえると嬉しいです。次でさらに踏み込みます。

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