第十六話 監査部の視線
「もちろんですわ」
そう答えた瞬間。
空気が、もう一段だけ重くなった。
戻れない。
ではなく。
戻る気がない。
その確認のように。
「いい」
男は短く言った。
椅子に深く背を預ける。
だが、視線は外さない。
ずっと。
こちらを見ている。
観察ではない。
選別。
「では前提から話す」
机の上に指を置く。
軽く叩く。
リズムが一定。
思考の癖。
「今回の断罪」
間。
「三層構造だ」
簡潔。
無駄がない。
いい。
理解しやすい。
「三層?」
わたくしは問い返す。
「表層」
男は指を一本立てる。
「証言、証拠、そして学園」
「ええ」
そこは知っている。
「中層」
二本目。
「貴族家の調整」
「母、ですわね」
「正確には、その周辺」
少しだけ違う。
だが、ほぼ一致。
「そして」
三本目。
ゆっくりと。
「深層」
そこで、指が止まる。
わずかに。
空気が変わる。
「王宮内部」
来た。
やはり。
「ここまでは理解しているはずだ」
「ええ」
わたくしは頷いた。
「では問題は」
彼が言う。
「誰が“深層”を動かしたか」
沈黙。
わたくしは、少しだけ考えた。
すでに、いくつか候補はある。
だが。
ここでの答えは。
推測ではなく。
選択。
「……一人ではない」
わたくしは言った。
男の目が、わずかに動く。
「理由は」
「単独では、整いすぎていますもの」
あの断罪。
雑だった。
だが。
全体としては成立していた。
「つまり」
わたくしは続ける。
「設計者と、実行者が分かれている」
沈黙。
それから。
男は小さく笑った。
「いい」
その一言。
「では、設計者は?」
来た。
核心。
わたくしは、息を一つだけ整えた。
「……見せ方を重視している」
まず、それ。
「見せ方?」
「ええ」
断罪は。
必要以上に“劇的”だった。
証拠よりも。
印象。
事実よりも。
空気。
「つまり」
わたくしは言う。
「権力そのものより、“影響力”を持つ人間」
間。
「……例えば?」
男が促す。
わたくしは、ほんの少しだけ笑った。
「“王太子の側近”」
沈黙。
今度は。
完全に。
空気が止まる。
アシュレイの気配が、わずかに揺れる。
男は動かない。
だが。
その目だけが。
わずかに細くなる。
「理由は」
「簡単です」
わたくしは言う。
「王太子本人なら、もっと強引に終わらせる」
あの人は。
回りくどいことをしない。
「ですが、側近なら違う」
彼らは。
“形”を作る。
正しさを演出する。
「そして」
わたくしは一歩、前へ出た。
「失敗したときの責任も、分散できる」
沈黙。
長い。
だが。
重くはない。
むしろ。
濃い。
「……名前は?」
男が言う。
低く。
静かに。
「そこまでは」
わたくしは首を振る。
「まだ」
正直に。
ここで無理に当てる必要はない。
「だが」
男は言う。
「一人、該当する人物がいる」
視線が、さらに鋭くなる。
「――リュシアン・ヴェルト」
名前が落ちる。
重く。
静かに。
その瞬間。
空気が変わる。
完全に。
わたくしは、その名を頭の中で反芻した。
知らない名前ではない。
だが。
関わったことはない。
「王太子側近筆頭」
男が続ける。
「表には出ないが、すべての調整を行う」
なるほど。
ぴったりだ。
「……会ったことは?」
「ない」
「なら、会うことになる」
その言葉で。
未来が確定する。
避けられない。
避けるべきでもない。
「いいでしょう」
わたくしは答えた。
「ちょうど、興味がありましたの」
男は、わずかに笑った。
「そうか」
その笑みは。
楽しんでいるものではない。
確認した笑み。
そして。
「では、気をつけろ」
声が、少しだけ低くなる。
「そいつは」
間。
「“断罪を作る側”だ」
その一言で。
理解した。
敵の本質。
ただの権力ではない。
構造を作る側。
つまり。
もっとも厄介な種類。
わたくしは、静かに息を吐いた。
いい。
とてもいい。
「では」
視線を上げる。
「壊す相手も、決まりましたわね」
その言葉に。
アシュレイが、小さく笑った。
今までで一番。
楽しそうに。
――さて。
どこから崩しましょうか。
“設計者”からか。
それとも。
その下からか。
選択は一つ。
そして。
間違えない。
そう決めているから。
ここでついに「敵の名前」が出ました。
ここからは完全に“構造を作る側”との戦いになります。
次は初接触か、それとも先手を打つか。
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