第42話:痛みを知らなかった女
ズィーブントの手によって、俺はオーアと離れ離れになってしまった。
「……どういうつもりだ、裏切るのか」
「マイニングさん、冷静になって欲しい。あんたが今するべき事は何だ?」
「決まってる。オーアを守る事だ」
そう……オーアを守る。あいつはある日俺達の前に姿を現した。何もかも覚えていなかったあいつを、俺達は家族として受け入れた。その結果こんな事になってしまったが後悔はしていない。あいつは、俺の息子だ。
「……なら分かって欲しい。彼はトリスメギストスを倒そうとしている。彼の意思を尊重すべきだ」
「分かっちゃいるさ。分かっちゃいるが……心配なもんは心配なんだよ」
リオンと呼ばれた女は槌で地面を小突きながらこちらを見る。
「ねぇ、もういいかな? 私としてはさっさとあんたら倒して、あいつ捕まえたいハナシなんだけど?」
「……悪いがそうはいかない。君を、始末させてもらう」
「オーアの下には行かせないぞ」
「ふぅ…………馬鹿ばっかりだねぇ。うんざりするよ」
そう言った瞬間、リオンの姿が消え、俺の腹に鈍い痛みが走った。どうやら槌を腹に突き立てられたらしい。
「っ……!!」
何とか反撃しようと裏拳を放ったものの、その時には既に女は俺から離れており、掠りもしなかった。
「ハハッ! これで分かったでしょ? あんたみたいな凡人に、私を止める事なんて出来ないってハナシさ!」
「リオン……俺にも人としての良心がある。出来る事なら君を殺したくない」
「なぁ~に今更善人面してんのさ? 所詮あんたも私と同じだってのに」
ズィーブントが腕を動かすと周囲を取り囲んでいた炎は唸る様に動き出し、リオンの周りを取り囲んだ。
「最終警告だ。その武器を下ろせ」
「……やだよバーカ」
その瞬間、リオンの体を縛り付けるかの様に炎が巻き付いた。
「今だマイニングさん! 今がチャンス!」
「……おう!」
俺はズィーブントが作り出したチャンスを無駄にしないためにも、リオンの下に走り出し、拳を握った。リオンは無表情でこちらを見つめていたが、俺が殴りかかろうとした瞬間、口角を上げた。
「言ったでしょ凡人。あんたじゃ私は倒せないって」
そう言うとリオンは自分の体を縛り付けていた炎を引き千切る様に消滅させると、空いた手で横薙ぎに手刀を放ってきた。寸での所で回避出来たものの、俺の頬には切り傷が出来ていた。
俺は追撃を避けるべく殴りかかったものの、リオンはその右手を手で受け止め、そのまま握り込んだ。その握力は、その細腕から出ているとは到底思えない程の力であり、俺の拳はミシミシと嫌な音を立てていた。
「ほぉらズィーブントォ、どうすんのさ? あんたにこいつを道ずれに私を殺せるだけの根性あるの~?」
まずい……このままじゃジリ貧だ。正直な話、俺の実力でこいつに勝てるとは思ってはいない。こいつを倒せる可能性があるのはズィーブントだけだ。情け無い話だが、あいつを頼るしかない……。ただ、このままじゃあいつは俺に気を遣って攻撃出来そうに無い。
俺はリオンを振り解くべく脇腹に膝蹴りなどを入れてみたものの、リオンは全く意に介していない様だった。
「無駄なんだって。どうやったって私は倒せないんだよ」
「……それはどうだろうな」
俺は空いた手でリオンの顔を引っかく。
「……何今の?」
「血が出てるぞ。血が出るなら、殺せるって事だ」
「ふぅ~ん? そう?」
リオンは俺の手を放すと、体を軽く押し、俺を突き放した。
「じゃあ殺してみれば? 今まで一人も殺した事無い奴がどこまで出来るのか見せてみなよ」
「……ズィーブント」
「何だ?」
「あいつを見ていて気付いた事がある」
「……奇遇だな。俺もだ」
「そりゃいい。するべき事は、分かるよな?」
「任せろ」
俺は壁に向かって走り出した。壁には様々な武器が置かれている。先程まではズィーブントの炎で取りに行く事が出来なかったが、今は炎が無くなっているため、取りに行ける様になっていた。壁際に辿り着いた俺は壁に掛けてあった棍棒を取る。
「この私に武器での勝負を挑むんだ?」
「……ああ」
「じゃ、殺す気で行くから」
その直後リオンは俺の目前に一瞬で移動し、槌で殴りかかってきた。俺はすぐさま棍棒でその一撃を防ぐ事が出来た。しかし、リオンは人間離れした動きで次から次へと攻撃を繰り出してきており、俺の体力が尽きてしまうのも時間の問題だった。
このままじゃあ埒が明かない。多少無茶してでもやるしかない……。
俺はリオンの攻撃を防ぎながら、一瞬の隙を突いて攻撃を放った。その一撃は俺が今まで繰り出した中で、恐らく最も素早く、場合によっては全く効果をなさない攻撃だった。
リオンは俺からの予想外の反撃を受けたためか少し後ろによろめいた。
「……何した今?」
「やっぱり気付いてないか……」
「何のハナシさ?」
「自分で考えてみろ」
リオンは空いた手で俺が攻撃を当てた顔を触る。その手は血でベッタリと濡れており、俺の狙い通り行っている様だった。
「……あ?」
「……理解出来たか? 自分が何をされたか」
リオンは俺からの攻撃で片目が潰れていた。俺自身の手にも少し血が付いている。
「な、何が……」
「戦っている最中に気付いたんだよ。お前はこっちが攻撃を仕掛けても全く食らっていないみたいだった。最初はそれだけ頑丈なのかと思ったんだがな、どうやら違ってたみたいだな」
リオンはさっきまでの様子とは打って変わって酷く動揺しており、状況をうまく飲み込めていない様だった。そんな中、焦げ臭い匂いがし始める。
「私は、私はこんな……事で傷付いたり……!」
「お前は無敵なんかじゃない。ただ、痛みを感じないだけだ。自分の体の痛みに気付けないだけだ」
リオンが俺を黙らせようと槌を振り上げた瞬間、リオンの体は炎に包み込まれた。その火力は今までのものとは比較にならないもので、最早リオンの姿すらも正確には見えなくなる程だった。
リオンの死角に回りこんでいたズィーブントが話し始める。
「……リオン。これで終わりだ」
「違う……終わりじゃない……!」
「……いいや終わりだ。リオン、その体質、君が自分で望んだ物なのかは分からないがな、そんな体質は戦う事には向いてないんだよ」
リオンは火達磨になりながらズィーブントの方にゆっくりと歩き始める。
「人は、痛みを知って成長する。痛いからこそ危険を避けようとする。だが今の君はどうだ? 普通ならまずは火を消そうとする筈なのに、痛く無いから俺達を殺す事を最優先しようとしている」
炎の中のリオンの足と思われるシルエットがあらぬ形に曲がり、リオンはその場に崩れ落ちる。
「……足が熱に耐え切れなくなったか。気付いているかリオン? 君の足の骨は熱の影響で折れたんだ」
「殺……す」
聞いた事がある。強い熱が加わると、骨が折れる事があるらしい。今リオンを包み込んでいる炎を見るに相当な火力が出ているみたいだ。それこそ、簡単に骨を破壊出来る程の火力が。
「マイニングさん。頼む」
「……おう」
俺は棍棒を握り締めると、大きく振り上げ、背を向けているリオンの頭に思い切り振り下ろした。骨が壊れる嫌な音が聞こえると、リオンは炎に包まれたまま完全に倒れ込んだ。
「……行きましょうマイニングさん。もう終わりました」
「そうだな……行くか」
そう言ってオーアの下に向かおうとしたその時、凄まじい痛みと共に俺は力なく倒れ込んでしまった。
「……ッ!?」
「マイニングさん!」
痛みに耐えながら足を見ると、さっきまであった筈の右足が無くなっており、断面部からは血が流れ出ていた。
「わ、たしは……リオン、シリーズ……だよ? この、程度でやられる、か……。まだ、まだ戦えるん、だ」
どうやらリオンは手に持っていた槌を思い切り投げていたらしく、俺の足はそれにやられてしまったらしい。
リオンは何とか立ち上がり、俺を殺そうとしていたが、既に両足とも骨が折れてしまっているのかその場に這いつくばったままだった。
ズィーブントが俺に駆け寄る。
「大丈夫か……!?」
「クソ……何とかしねぇと……」
「動くな」
そう言うとズィーブントは俺の傷口に手を触れ、炎で熱し始めた。とんでもない痛さだったが、血はそこでピタリと止まった。
「何したんだ……?」
「傷口を熱して、とりあえず止血した。これで一先ずは大丈夫な筈だ」
そうか、筋肉の収縮か。生物の筋肉は熱されると収縮する。それで止血したのか。
俺はズィーブントの肩を借り、立ち上がる。
「あいつはもういいのか?」
「……ああ。彼女はもう動けない」
そう言うとズィーブントは炎を消す。
「おい、大丈夫なのか消して?」
「彼女の足は既に破壊された。それに既に灰を吸い込んでいる。もう長くはもたないだろう」
実際リオンは全身に凄まじい火傷を負っており、虚ろな目をこちらに向けてきていた。体がまだ動いているため一応生きているのは分かったが、もう先が長くは無さそうだった。
「さあ行こう。オーアを……彼を守らないと」
「ああ、俺の……大事な息子だ」
俺達は動かなくなったリオンをそのままにし、オーアを守るために後を追う事にした。