69.先延ばしをすること
先延ばしをすること、というのは自分の生活を振り返ってみるとよくあります。というか、誇張すれば先延ばししかしていない気がする。
自分が不利益を被るとわかっているのに、やる気がでず取り組まない。結果として、自分の予想通りに不利益を被る結果となる。そんなことが多かった。
先延ばしをしてしまう理由とは何なのだろう。
自分にとって良くないことが起こると分かっているのにも関わらず、先延ばしをしてしまうのはなぜだろう。
そして、先延ばしをして不幸になった時に、これからは先伸ばさずに取り組もうという決意をするのに、それが脆くも崩れ去ってしまうのはなぜだろう。
分かっているのにも関わらず、人は自分の行動を律することができないことがある。それは、理性が本能に負けていると言えるのではないか、と少し思います。
先延ばしをすること、ということから連想するのは夏休みの宿題という人は多い気がします。多くの人が、夏休みの宿題を最後まで楽しみに取っておいたのではないかと、勝手に思っています。
計画的に宿題を片付けることができた人というのは少ないでしょう、少なくとも。
先延ばしをすることは、別に悪いことではない。悪いのは、いつまでも先延ばしにしてしまうことです。
明日やる、と決めていったいどれだけの人が明日やるだろう。どれだけの人が、明日になったら、「明日こそはやろう」となっていることだろう。
そうやって決断を変更してしまうことは、決意が弱いというのだろうか。しかし、考えてみると決意とは何だろう。
時折、強い決意とか、弱い決意とかいう表現を見る。決意に強いも弱いも無いと私は思っています。
創作物の中では、強い決意によって主人公が覚醒して大きな力を得たりとか、そういうことがあるけれど、現実ではありえない。
瞬間的に強く思ったことを、どれだけ持続できるだろうか。
テストが終わったとき、もっと勉強しておけばと強く思う。
電車に乗り遅れたとき、もっと早く起きていればと。
不注意が原因で失敗したとき、もっと注意していればと。
瞬間的に強い思いが、長く続くことは少ないように思うし、個人的には弱い決意というか、何気ない決意の方が長続きというか、維持される気がします。




