68.視線を合わせることが苦手だ
私はどうにも視線を合わせることが苦手で仕方がありません。どうしてだろう、と考えてみると確かな理由はない。今までによく考えたことはありませんでした。
そして考えてみたのですが、適当だと思う理由が思い浮かばなかった。一つだけ出た解らしき思考は、他者に否定されるのが怖い、というものです。
視線を合わせ、それを逸らされることは、どうしてか「否定」されたと感じてしまうことから、視線を合わせることが苦手なのだと。
昔から人の目を話すことが嫌いで、こちらの目を見て話をしようとする人間が苦手でした。私は視線が合うと、すぐに逸らしてしまいます。
視線を逸らされる事が、どうして否定に繋がるのか、理解に苦しむ人がいるように思うけれど、私としてはそう感じてしまうところもあるのは、少なくとも本当です。
人の目を見て話をすることは、重要なことのように思われていると感じるけれど、実際、本当に人の目を見て話をすることは大切なことなのだろうか。
人の目を見て話をすることに、どれだけの価値があるのだろう。
私には分からないです。
誠意がうんぬん、気持ちがうんぬん、という感情論の問題になるのだろうとは思う。
そもそも、私は人の目が怖かった、だから視線を合わせるのが怖かったのだとも思います。人の目、正確に表現をするならば他者の視線が怖かった。
人からどのように見られるのか、人が自分をどのように見るのか、他者の目線が怖かった。他人が怖かったのは、他者の視線が怖かったから。
他者の視線というのは、ほとんどの場合は自分が勝手に想像し、作り出しているものです。第何話かでも書いたと思うけれど、基本的にあまり人は他人を気にしないものです。気にしても、気にし続けることは少ない、そのように思います。
通りすがった人間を、いったいどれだけの間だけ気にするだろうか。
自分で作り出したモノを、勝手に自分で怖がっているだけの場合がどれだけ多いだろう。
その様に思う様にはなっているけれど、それでもやっぱり他者の視線が怖いと感じることは多々あります。それは、思春期に誇大化した自意識の故だろう。
誇大化した自意識は粛々と萎み続けていると感じているので、そのうち他者の視線にびくびくする様なことは少なくなると思うし、そう願っている。
……なんだか、今回は本当にブログの日記欄に相応しい内容になってしまった気がする。




