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65.迷い、誤り、再び迷う

 私はよく迷います。決断することを躊躇ってしまいます。そして、決断した筈のことを再び迷ってしまうことが多々あります。そして、往々にして決断に迷ってしまった時は、大抵の場合は後悔しました。


 迷いは誤りを生んで、誤りは再び迷いを生むことになる、その様に思います。


 私が好きな小説で「本格推理委員会」という小説があるのですが、その中で迷うことに対して作中人物が言及するシーンがあります。そのシーンというか、言葉がよく記憶に残っています。この小説の中で「迷うというのは、情報不足ということなんですよ。」という台詞があって、これが本当によく記憶に残っているのです。


 確かに、迷うときはいつだって情報が不足していた。参考書を選ぶときに迷ったときも、志望校に悩んだときも、何かするときにはいつだって情報が不足していた。


 それは、当たり前のことかもしれないけれど、そんな当たり前のことに気がつかないでいること、というのはよくあります。当たり前は、当たり前過ぎで忘れがちです。


 自分が学生や生徒だったのは当たり前で、誰かに教えられるのは当たり前で、他者は自分よりも年上だったのが当たり前だった。


 決断するのに十全たる情報を得られる場合というのは、少ないものです。大抵の場合は、いつだって情報が不足していて、その中で決断しなくてはいけない。


 私は決断ができない人間でした。


 そして、決断すべき時を逸して機会を永遠に失うこと、というのがよくあった気がします。


 決断ができない理由は、なにも情報が少なかっただけではなかった様に思います。後悔するのが怖かったし、自分が傷つくのが怖かった。そして何より、失敗するのが怖かった。


 本当に、失敗することが怖かったのです。


 今でも怖い。


 失敗するのが怖いですし、誰かに嫌われることが怖い。しかし、失敗しないで生きていくことも、誰かに嫌われずに生きていくことも不可能に近いというのは分かっているつもりではいる。


 聖人と誉れ高いマザーテレサのことを嫌いな人間だって中にはいるだろう。


 どんな立派な人だって、その人のことを嫌いに思う人間は少なからず存在することだろう。


 失敗したくないなら、人に嫌われたくないならば死ぬしかない。


 生きているからには、失敗はするし、他者に嫌われもする。


 生きるということは他者に影響を与えないではいられない。それを頭の中で分かっていた筈だったけれど、それでも私は何者にも影響を与えることなき人生を過ごしたかった時があります。


 無でさえ、その概念自体が人間に影響を与えている。何にも影響を与えない何かなんて、存在する筈がないのにも関わらず、私はそんな存在になることを、心の隅で望んでいた時期があったように思います。

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