64.時間をムダにするということ
振り返れば多くの時間をムダに過ごしてきた様に思います。
出来るだけムダのない生活をすることが理想ではありますが、その様な生活に憧れると同時にそれは酷く味気ないようない感じも抱きます。
毎日キッカリ何時に寝て、出来るだけ短い睡眠時間で、最小限の食事をして、最短ルートで移動して、最小の労力で最大の成果を得る。
その様なことは理想ではあるけれど、しかしながら、魅力的はではない。
ムダなこと、というのはムダであることに意味と面白さがある。
無用の用を説くわけではないけれど、やっぱり人生に無駄な時間というのは必要だよなあ、と思います。
無駄な時間、暇な時間、非生産的と読んでもいい時間。
時間をムダにすることが非常に嫌だと思っていた時期がありました。
勉強をするにも、最小の労力でより大きな成果を得たいと思い、様々な方法論を探していた時期がありました。
もう既に察しがつくとは思いますが、凄く本末転倒な結果になりました。それは、私自身の怠惰な性格が故ではあるけれども。
無駄を無くすために、より効率的に、より生産的に勉強をしようと思い、ではどのように勉強すれば最良なのだろうか、とネットで調べまくりました。
そして、そういう方法論、要は勉強論というのを読むのは実際に勉強するよりも遥かに楽です。悪いことに、そういうのを読むと何だか勉強した気になるもので、困ったものです。
最良の方法を見つけてから勉強するんだ。その方が無駄が少なくて済む、そう思っていたのだと思います。
効率が悪かろうが、無駄が大きかろうが、やらないよりかはマシなわけなのだけど、当時の私はそれに気づいていなかったのか、気付いていたけど敢えて気付いていない振りをしていたように思います。
要は勉強したくなかったのです。
時間を無駄にしたくないが為に、時間を大量に無駄にする。そんな本末転倒なことを、けっこう長い間くり返してきた様に思います。
そして、最近また同じようなことを繰り返そうとしている。
自己の体験から学ばず、過去の行いを顧みず、同様の行動を取って同様の結果を得ることになりそうでいます。
こうして気付いているのにも関わらず、同じ様な結果を招く様な気がしてならない現在です。
分かっているのに、けれど、それでも舵を切ることができない。
実にバカらしい。




