59.読者への問いかけ
読んでいる方へと問いかける文章、というのが私はあまり好きではありません。そうは言いつつも、書きつつも、一つ前の第58回の最後に問いかけの様なモノを書きました。
100回の内の数回ぐらいは、そういうのを挟んでもいいかな、なんて。
しかし、読者へと問いかけることが好きではない、というのは読む人を想定してこうして文章を書いている行為と矛盾している様な気がします。
小説であれ、エッセイであれ、文章を読むことによって大小はあれど作者は読者へと影響する。それは、読者へと問いかけるという行為に似ている気がするからです。
だから、より正確に言いかえるのであれば、読者へと積極的に問いを投げかけることが好きではない、でしょうか。
例えば――電気椅子や絞首刑による死刑は非人道的だ、という意見がある。その逆で、死刑に値する罪を犯した人間に対して慈悲は必要ない、という意見もある。さて、貴方はどちらの意見を指示するだろうか――みたいな感じの文章ですかね、私が嫌いなのは。
読者へと問いかけるだけでも嫌いなのに、この場合だと書いている側が自らのスタンスを明かさずに問いを発しているのが気に食わない。
もっとも、上の例は勝手に作ったしょうもない例文なので、細かいところは気にしないでください。
個人的には、このエッセイを読んでいる方々(複数の人がいればいいな)が、このエッセイ集に対してどのような思いを抱いているか、というのが最も聞きたいところです。
59回、つまり二カ月近く毎日連載していれば、誰か一人ぐらいは感想を書いてくれたりしているのですかね。頂いた感想などから、どういう風にこのエッセイ集が受け止められているのかが想像できるかな。あればの話なのですが。
では、改めてこれを読んでいる方に質問してみましょう。
貴方はこのエッセイ集を面白いと思いますか?
しかし、第59回だけを見る人というのは少なくて、ここまで付き合ってくれた貴方はきっとエッセイを面白いと思ってくださっているのだろうから、この質問にはあまり意味がない気もする。
まあ、いいか。
……書いている側が言うのもアレなのですが、やっぱり読者へと問いかける文章というのは嫌ですね。なんかイライラします。
なら書くなよ、という話なのですが一度くらいは書いてみたかったのです。
ところで、この回で読者の方を減らしてしまう気がしなくもないです。
なんだか投稿もしていないのに読者を気にし過ぎている様な気がする。まさに『見えない他者に影響されている』状態かな。
気にしているのは、結局は自分の中で作り出した他者であって、本当の他者ではない。自分で生み出した他者を気にするのはいいけれど、やっぱり限度というのはある。




