58.五年後の自分へ
この前、五年後の自分へと宛てた手紙が届きました。中学の時に学校で書かされたモノです。全く記憶に残っていない。
てか、これを書いたら私の年齢が丸分かりですが、ばれたところで特に問題はないからいいかな。
その手紙を書いた当時の記憶はないですが、書いた内容は確かにそんなこと書いたなあ、と思えるようなことでした。
手紙の最後には力強く大きな文字で『生きろ』と書かれていました。何だろう、当時の俺は今の俺が自殺でもするとか思ったのだろうか。
未来の自分に向けた手紙、それが忘れた頃にやってくる。なかなか面白いものですね。
書いた当時は、五年後の自分なんか想像できなかった。そして今も、今から五年後の自分が全く想像できない。
未来の自分は、いったい何をしているのだろう。そう考えると、自殺していないといいな、という考えが自然と浮かんだ。なるほど、五年前の自分も未来の自分が自殺しないことを祈っていたのか。
過去の自分は、ちゃんと自分のことを理解していたらしく『勉強してください』と書いていました。はい、五年後の私はちゃんと勉強しています、少しする時期が遅かったですが、と返事をしたいところです。
五年で世界は大きく変わる、様な気がする。五年前にはスマホなんて無かった記憶。少なくとも普及はしていなかった感がある。
五年前、中学生だった私は深夜にやっていたハルヒを少し見た記憶がある。ワールドデストラクションというアニメにも少しばかりハマった。
……何だかブログに書く記事みたいなモノになってしまいました。
未来を想像するのは難しいですが、しかし想像はしておくべきでしょう。想像通りにいくのはつまらない、そう思って想像しないのも自由だけれど。自分はかつてそう思っていて、未来図なんて全く描かなかったです。
しかし、未来なんてそう想像できるものではないし、想像と一致することなんてまず有り得ない。
想像して、それに向かうにはどうすればいいか、と考えることは有益なことだと思います。私はそういうことを全くしなかった。だから今、私は迷走しています。
さてはて、私はいったいどこへ向かおうとしているのだろう。
漠然とした目的地すらない様な感じがする。
思えば高校選びも大学選びも適当に済ました人間です、いや、本当に。
まあ、そんなことを書いても仕方ないか。
一年後の自分どころから、二か月先の自分さえ想像できない。これが投稿される七月の下旬には、私はどうしているだろう。そして、貴方は二ヶ月後に何をしているだろうか。




