54.他人の感想を読むことは、読書の代替にはならない
当たり前の様だけど、最近になってハッと気がついた。
本を読むことが最近はあまりなくて、その本を読んだ人の感想を見ることが多い最近でした。ライトノベルの感想を良く読んでいて、他人の感想を見るのが面白かったです。
結局、私は他人の感想を読んで何をしたかったのか、それはつまり読書の代替をしたかったのだと思います。
読書をするのが億劫で、他人の感想を読むことでその代替にしよう、と。最初はそういう意識はなかったかもしれないけれど、いつからそんな風になっていた。
多くの感想を読んだところで、結局その作品についてはろくに知らないのだ、ということにハッと気がついた最近です。
他者の感想は、他者の感想であった私の感想ではない。その本を読んで他人がどう思ったか、ということと、私がその本を読んでどう思うか、にどれだけの繋がりがあるというのだろう。
自分が好きな本を他人がどう思っているか気になって、感想を検索するということは前からった。
それがどうしてか、感想を読むことで本を読むことの代替にしよう、という風に何時の間にか変わってしまっていた。
意識的にそう思っていたわけではないけれど、振り返ってみると、そのような風に思える。
しかし、改めてタイトルの文章を読んでみると至極当たり前すぎて少し笑えてしまいます。言われんでも分かるわ、という声が聞こえる様な気がする。
代替にはならない、というと百聞は一見に如かずという言葉が連想されます。
やっぱり、自分で見聞きし、体験したことは他者の体験とは比べ物にならない情報量を持つものなのでしょう。
しかし、自分の体験したことを絶対視する姿勢というのもあまりよくない。
……なんだか陳腐で有り触れた言葉ばかり書いている気がする。
他人の感想を読むことは、けっこう面白いものです。自分が読んだ本に対して、他の人はどう思ったのかを知るのは中々に楽しい。
また、他人の感想を読んで面白い何かに出会うこともある。
読書感想が上手い人ってのが居て、その人の感想を読むと何だか自分もその本を読んだ気になることってのも偶にあります。
結局、他人の感想を読んで新しい本を買って読んだり、新しく本を読んで他人の感想と自分の感想を比べてみたり、というのが楽しかった。そして、読んだ本のストックが無くなった時に、新しく本を読んで『読んだ本』を積み上げたりするよりも、他者の感想を読む方が楽だから、そればかり読むようになったのだと思います。
ところで、本を読むのって意外と疲れます。




