51.読んだところで意味はない
読んだところで本当に大して意味のない文章を書いてみます。以下、本当に読んだところでしょうもない文章となる予定です。
読んだところで意味のない文章というのは、果たしてどういう文章か。それは、読んでも得るところのない文章であって、読み終わった後に自分は何を読んでいたのだろうか、と考えてみるも文章を読んだということぐらいしか記憶に残らない文章なのではないか、と私は思います。
読んでも意味のない文章、という存在を思考するときにまず最初に疑問に浮かぶであろうことは、意味のない文章とは何だろうか、ということでしょう。既に前段落で述べたように、読み終わったとに自分はどんな文章を読んでいたかが全く思い出せない様な文章だと、私は考えます。
読んでいてイライラすることなく、つっかえることなく、順調に読み進めることが出来る文章。
けれど、そこに内容なんてモノはなくて、まさしく無と形容するのが相応しい言葉の並び。そんな文章を私は書きたい、そしてこの文章もそれを目指して書いています。
しかし、文章というのが成り立っているということは、つまりそこには意味があるということで、原理的に無意味な文章というのは書くことができないのではないか、とも思う心があります。
意味がない、とは何なのか。
意味がある、とは何なのか。
そもそも意味とは何なのか。
考えて行くと、面白そうな哲学的問題にでも発展しそうな感じですが、どうなんでしょう。哲学という言葉を見ると、アリストテレスなど古代ギリシャを連想する人が多いように思います。
人によってウィトゲンシュタインとかを連想するのでしょうか。私なんかは、哲学という言葉を見て、この二つをまず連想します。どちらも全く詳しくないのですが。
哲学というのが人に役立つことはあまりない気がしますが、実際的には役に立たなくとも、知的好奇心を満たす役には立つことがある気がします。
さてはて、こうして文章を書いているわけですが、当初の目論見通りにはいかなかった気がします。
何も考えることのない文章というのは、理想でしか存在しないのではないか、とも思う始末です。
ちゃんと日本語になっていて、何かしら意味があるように思えるのだけど、よくよく考えてみると大して意味のない文章というのを書いてみたい、本当に書いてみたいと思うけれど難しい。
意味のない文章というのを書ける日は来るだろうか。




