49.このエッセイの需要
改めて考えてみるとですね、このエッセイに価値を見出している人は居るのだろうか、と心配になります。
書いている今はまだ投稿していないので杞憂に過ぎないのですが。
何か文章を読みたいけれど、なるべく頭を使いたくない時に読む文章、というのを書くことがこのエッセイを書いている今の理想なのですが、難しそうです。
ドラえもんであった『荷物持ち運び用荷物』の文章バージョンを書けたらと思うのです。
文章を読みたい気分だけど、あまり文章を読みたくない、そういう二律背反で意味の分からぬ状態になる時というのは偶にあります。
ゲームをやりたいけれど、ゲームをやるのはメンドクサイというのによく似ている。というか同種ですね。
そんな時に読むような文章を書きたいな、と思うわけです。
頭を使いたくない、けれど文章は読みたい、という欲求を満たすことが出来る様な。
理想は遥か遠くです。
このエッセイの存在理由、かっこよく言えばレゾンデートルって奴でしょうか。それは一体なんだろうか、と考えてみると何処かの回で言及していた様に思います。
結局のところ、私はこうやってエッセイの様なモノを書きたいから書くわけで、そしてこれを読んでいる貴方は、どういう理由や経緯からかは知らないけれど、読みたいから読んでいるわけです。
書いている側が、読む人がどう思うかを考える必要はあまりない気がします。そして、読む側の人間も、書く側の人間に対して思いを馳せる必要は特にない気がします。
文章を書きたい人が書いて、それを公開し、文章を読みたい人がそれを読む。ただそれだけのことで、それ以外の何でもない。
私は金銭や何かを対価として貰っているわけでもないし、読む側の貴方が私に何か対価を支払っているわけでもない。
そう割り切って考えることも出来るけれど、それは少し行き過ぎな気もします。
そもそも、読む側も対価を支払っているわけですし。あまり気にはしない人が多いかもしれないけれど、読むことで少なくとも幾らかの時間を支払っているのだから。
読者は読者、作者は作者、と割り切って考える必要もあるかもしれないけれど、そうではなくて、相互間で良い関係を築けることができることが理想の形なんだろう。
だからきっと、私は予約投稿をされる小説があまり好きではないのかもしれない。
連載という形において、私はそのリアルタイム性が好きだった。だから、予約投稿という機能を用いて連載をすることは、何だかなあ、と思うのです。
読者と作者、その立場というのは平等であるべきだと個人的には思います。
もっとも、その様なことは原理的に無理ではあるけれど、それでもやっぱり平等であることが理想の形ではないか、なんて青臭いことを思います。




