4.失って気付く、そういうものだ
何事もきっと失わなければ、その本当の価値に気付くことはないのかもしれないと考えています。
例えば、在り来たりな例かもしれないけれど、学生時代というのが一つの例に上げられると思います。
学校に通って、教室で友達と会って話をして、給食を食べて、先生の授業を黙々と聞いて、放課後に部活や...etcなんて当たり前のことでした。
毎日毎日、同じ人達と同じ空間で生活をして、今日と同じようなことが明日も続くと、そう思っていたように思います。
その毎日の生活なんて、あまり価値を感じられるような代物ではなかったけれど、今にして思うとそれなりに価値を見い出せるものです。
それにしても、失わなければ価値の分からないものは本当に多い様に思います。
人は失わなければその価値に気がつかないもので、何かが在る状態において、失った時のことを想像しても十分な想像には至らない、そう思います。
高校生の時、私は「今までと同じように、気が付いたら卒業しているのだろう」と何度も考え、「今」を懐かしむ時を想像したことがあります。
「自分が卒業した後に、こうして高校生活を送っている今を振り返って、どのように思うんだろう」と。
その想像は、やはり十分な想像ではなかったです。
当たり前が当たり前でなくなった時、その当たり前の本当の価値が分かるんじゃないか、そう思うのです。
フリーゲームに『ruina~廃都の物語~』という有名なRPGがあって、その中のあるキャラクターのセリフに『おお、過ぎ去ったものはみな哀しく、そして美しい!』というものがあります。
この言葉の様に、過去は綺麗に見える様に思います。俗に言う『思い出補正』です。
自分の高校時代を振り返ってみると、当時はそんな風に思うことはあまりなかったのに、それなりに楽しかった生活を送っていたように思えてしまいます。実際に戻ったとしたら、きっと退屈な毎日だと感じるだろうに。
上の方でグダグダと書いた自分の考えは、思い出補正で過去を美化してしまうことを違う言葉で表現しているだけかもしれないです。
ところで少し話は変わるのですが、どうも自省的というか、自嘲的というか、あまり明るくない様な文章ばかり書いてしまうことに少し悩むこの頃です。
もっとハッピーでアッパラパーな文章を書きたい、そう思っています。
私が小説というのを書き始めたのは中学生の時なのですが、その時から私が書く文章はほとんど暗いオーラを放っていたから、もう諦めるしかないのかもしれない。
明るく笑える話を書くということは、とても難しいものだと思います。




