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41.すぐには上れない

 私はせっかちです。だから、すぐに高みに上りたいと思う。天井を見上げて、自分より遥か先を進む先達に追い付きたいと願う。


 しかし、彼らが積み重ねた行為に目を向けず、その力量にだけ焦点を合わせることで、自分の中で誤解の様なモノを生んでいた様に思います。


 彼らは何もしないで、その高みへと上ったわけではないのにも関わらず、何の練習も鍛錬も積まず、そして何の壁にもぶち当たらずに到達したのだと、そう心の隅で思っていることが多かった様に、振り返るとそう思う。


 中には、何の苦難も困難にも当たることなく頂点へと上り詰める人がいるかもしれないけれど、やっぱり多くの人は何かしらの壁にぶち当たるでしょう。


 その事実を無視して、『あんなに上手いのずるい』といった種類の感情を抱いていた時期があった。


 ズルイも何も、自分は何もせず、そしてその人は自分なんかより遥かに修練を積んだのだから当たり前の事実であるというのに。


 すぐに辿りつけるような場所には、それ相応の価値しかなく、到達するのに掛かる時間や苦労に比例して価値は上昇するのではないかと思います。


 ところで、私は努力という言葉があまり好きではありません。だから、上でも努力という言葉を使うことなく『練習』や『修練』とか『行為』などという言葉を使いました。


 やっぱり努力という言葉は、何かしら苦しいことを耐え忍ぶというイメージがあって、個人的にはあまり使いたくない言葉です。無理、という言葉を連想するからかもしれません。


 何か能力を向上させたい時には、努力というのは不可欠でしょうけれど、やっぱり何かするからにはあまり苦しくない方がいいんじゃないかと思うわけで。


 苦しみを乗り越えなければ上達はしない、というのもある種の真理ではあると思うけれどやっぱり楽しみながら上達した方が何より楽です。


 修練や訓練、練習だって苦労することや苦しみを味わったりするだろう、という反論もあると思います。確かにそうですが、これらの言葉自体に『苦しいことを耐え忍ぶ』というイメージは個人的にはなく、『努力』という言葉から感じるイメージとはやっぱり違うと思うのです。


 少しばかり分かりにくいことを書きましたが、まあニュアンスが伝わればそれでいいのです。


 それに、努力という言葉には頭を使うイメージがなくて、泥臭い印象を受けます。根性論を代表する言葉の様に思えるから、というのも使いたくない理由の一つではあります。


 苦労したからって、苦しみに耐えたからって、必ずしも何か得るモノがあるわけではない。耐え忍んだ対価よりも、多くの対価を支払うこともある。


 楽してばかりじゃ生きられないけれど、それでもやっぱり苦労は減らしたい。


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