35.自分はバカなんじゃないかと
そう思うことは多々ある。
けれど、そう思うことに価値はあるだろうか。
バカや天才という形容は、比較する他者が存在しなければ成立しない。世界に一人だけであるならば、そういう発想は存在しない筈(みたいなことはニコニコしてる大百科にも書かれてた)。
私的なことになるけれど、最近ある参考書を読んでいたのだけど、二章で挫折しました。そこで書かれていることに、どうしても納得できないし読み解けない。
けれど、こうやって本を書いて説明している人がいるし、学問として成立している以上は論理的に納得している人が多々存在するということで、けして荒唐無稽で誰にも理解できないモノ、ということではない。
多くの人が理解していることを、自分が理解できない。
そこから『自分はバカなんじゃないか』と思ったりするわけだけど、そうやって自分を
卑下することにあまり意味はないんじゃないかと。
意味はなくとも相対的に『他者』と比較して劣っているかもしれない、という事実は変わらないけれど。
それでもやっぱり、『自分はバカだ』と思うよりかは『他人よりも物事を飲み込む速度が遅い』程度に捉えた方がいいと思う。
『自分には理解できない』と思って理解を避けるよりも『今はまだ理解できない』とする方がいいんじゃないか、と。
なんだか自己啓発じみたことを書いている感じがあるけれど、そういうつもりは全くないです。この『通り過ぎる100のエッセイ』では、役に立つことを目標とするのではなく、あらすじの個所に書いてある通り『誰かの暇つぶし』になれたらいいな、を目標としています。
電車の中で、あるいは何かの待ち時間を潰す為に、などを想定しているけれど、私のこの文章を読むよりも有意義なことはあると思います。
それでも、何か時間を潰す為に文章を読みたいな、という時には役立てるかもしれない。
いや、こうして自分の書く文章を卑下することは止めることにしよう。それはタダの自己満足であって、読む人には何の価値もないことです。
だったらこうやって書くなよ、と思ったりする人も居るかもしれません。
バカという言葉は少し不思議な感があります。対象を侮蔑する意味を含めることもあれば、対象を尊敬するような意味合いになることもある。
こういうのは何も『バカ』という言葉だけではないですが。
言葉というのは不思議なものです。
不思議なものは世界に本当にたくさんある。
その不思議を、生きている間にどれだけ知ることができるだろうか。




