32.小説を書きあげたことが、あまりない
小説を書くことは好きです。だけど、小説を書きあげたことは殆どと言っていい程ない。いつも数万字ぐらい書いて放置してしまう。
理由はハッキリしていて、物語の行く末が分かってしまうのと、積み上げた前提を考慮するのが面倒になるから、という二点が大きな理由。
まず最初に、私は小説を書く時にほとんどプロットを作らない。それは、プロットを作らないで書く方が楽なのと、楽しいし面白いから、というのが理由の一つ。
書いている最中に物語の展望が分かっていると、ただの作業みたいな感じがするのが嫌なのだと思う。もっとも、そういう作業が好きでプロットを作ってから書くということもあるけれど、大体の場合はプロットは作らない。
書いていくに従って頭の中で物語が動き、動いた物語を出力して、そしてまた物語が展開される。そういう連鎖が好きだし、物語を書いている最中というのは冒険している感覚に似ていて楽しい。
未知の何かを知るということは、とても刺激的で面白い。だから私は小説を書くのが好きなのだと思う。第二十回『タイピングが好き、文章を書くのが好き』でも書いたように、もちろんタイピングが好きだから、ということもあるけれど。
しかし、書いていくに従って物語の展開というのが粗方だけど定まってしまう。そして、頭の中で出来上がっている物語を出力するのは、冒険している時に比べてそこまで楽しくない。先が見えすぎる冒険が楽しいだろうか。
最終的に続きを書くことを止めてしまう。
次に、二つ目の理由に移ろう。
もっとも、この理由は一つ目の理由とあまり変わらないかもしれない。小説を書く時に、物語について特に何を考えることもなく書き始めるのが常です。書いていくと、物語の前提、骨組み、枠組みなどが出来上がって行く。
今までに積み上げた前提と整合させるように書いていかなければならない。そう言う風に考慮しながら書くのが苦手で、書くことを止めてしまうのだと思います。
小説というのは物語が終わりを迎えなければ、少なくとも一つの終着点に到達しなければ殆ど無価値ではないか、と私は思います。
どんな小説にも終わりはある。最後の文字が、その小説の終わりである、と言えるかもしれない。けれど、小説というのは文字の羅列に意味があるのではなく、その文字から読み取った情報に意味があるのであって、そして読み取った情報が何らかの区切りを迎えることがなければ、やっぱり小説というのは無意味に終わってしまうんじゃないかと思ったりすることがあります。
けれど、未完の大器にはロマンがある。傑作か、秀作か、駄作か。
完成していなければ未定で、未定だからこそ想像する余地がある。




