28.難しいことは、簡単じゃないから難しいのだ
何を当たり前のことを、とか思われる気がしてならない。そもそも、自分でもそう思う。
ならば何故こんなことを書くのだ、というわけだけれど、まあ当たり前のことを改めて考えてみるというのも何かと有用なんじゃないかと思うわけで。
私が有益なことを書けるか、というのは問題ではあるけれど。
世の中では難しいと感じたことを理解しようとする時に『もっと簡単に』と思うことがよくあると思う。
けれど、そのままでは理解することが難しいことを『簡単』にして理解しようとすることは、無理なんじゃないかと思ったり自分はします。
簡単にする、ということは何か情報を削ぎ落としたりすることや、他の近しい何かに言い変えるわけで、それは本来とは別の形になってしまう。
難しいことをレベルを落として簡単にする。そうして理解したことは、本当に理解したと言えるのか。そう問うと、やはり言えないと答えるべきだろう。
例えば相対性理論とかを、数式などを用いずに説明する本があったりする。こういうのは、そのままでは理解することが難しいことを、何か情報をそぎ落としたり、他の何かに言い変えて理解しやすく『簡単』にして説明しているのでしょう。
それで理解したことは、相対性理論についての何かではあるのでしょうが、それ自体を理解したわけではないことは明白で、難しいことを直ぐに理解できる簡単のレベルに落とすと違う何かに変わってしまう。
そう思うわけです。
何だか非常に分かりにくい表現をした様に思うけれど、まあフィーリングで感じ取れる筈、と信じてる。
ところで、相対性理論とかそういう言葉を聞くとワクワクしますよね。自分なんかは、そういうのを理解できる程に賢い人間ではないので、ワクワクするだけで終わるわけですが。
理解できるように勉強するかなあ……。
世の中には、直ぐには理解できない難しいことが多くあります。自分なんかは、難しいものを理解することに憧れるので、厳つい専門用語が大好きです。意味が分からずとも、ホモロジーやゲージ理論、不完全性定理みたいな言葉をみると中二病心が擽られてテンションが上がる。
量子力学とか素粒子物理学とかも心が惹かれる。けれど、理解するのには時間がたくさんいるのだろうし、もしかしたら努力しても理解できないかもしれない。
だからといって、難しいことを『簡単』というレベルに落として表現したものを理解して満足するのは、何だかなあ、と。
難しいことは、簡単ではないから難しい。
そもそも簡単に理解できたら難しいとは言わないわけですし。




