22.追い抜かれる側になるということ
若い内は誰かに抜かれる側というよりも、誰かを追い抜く側という立ち位置に居ることが一般的だと思います。
上の世代を、自分たちよりも早く生まれた世代を能力など色々な面で追い抜いていく側。追い抜くこと、誰かに勝利すること、そういうのは楽しいし面白い。
しかし、逆はあまり楽しくないし面白くないことが多い。
生きていれば誰だって年を取るわけで、年を取るということは衰えることに一般的には通じるわけです。いつかは抜かれる側になる。いつまでも追い抜く側であり続けることはできない。
自分よりも年下に追い抜かれること、負けることについてシッカリした考えを持つことというのは重要なのではないか、と思います。
覚悟しておかなければ、心に傷を負ってしまうこともある筈ですし。
衰えを認めることが出来ずに、みっともない姿を晒してしまう方というのも、残念ながら見受けられるものです。
潔く負けを認めることが嫌だ、という人は確かにいるだろうけど、それならば戦う姿勢を見せてほしい。戦う姿勢を、努力しないで、全盛期の自分を忘れられないで、自分を追い抜いていく若い人たちに苦言を呈したりする。
そういう人には成りたくないかな、と思います。
思っていても、きっと気付かない内にそういう人間になってしまったりするのでしょうけど。
何だか今回は酷く抽象的な話というか、自分にしか通じない様な文章になってしまっている気がしますが、このまま書いていきます。ニュアンスは通じると、そう信じたい。
やっぱり自分よりも凄かった人には、立ちはだかる壁ではなく、越えることのできる壁であってほしい。
これはきっと、勝手な理想像を相手に押しつけているのだろうけど。
さて、こんなことを書いておきながらですが、自分には今のところ乗り越えたいな、越えたいな、勝ちたいな、と思う人が特に居ないという。
勝手にライバル意識を持って、心の中で戦闘でも繰り広げてみようかな、なんて思っている今日この頃です。
イラストだったらpixivで適当に誰かライバルとして設定して、その人には絶対に閲覧数で負けんぞ!、とか思ったりして絵を描くのも面白そうではありますよね。
小説だったら、小説家になろうで誰かライバルとして設定して(ry
相手に対してアプローチをしかけず、心の中で勝手にライバル意識を持つことは自由ですし。
誰かと競うことは、やはり大きな糧になることだと思います。
人生のライバルが欲しいような、そうでもないような。




